スターになれなかった私
ー法医学への羨望の眼差しー

幼いころから,私は重症の引きこもり愛好症、いや、今振り返ると依存症だったと言ったほうがいいかもしれません。三つ子の魂百までとは良く言ったもので、大学生になっても、生きている人間との対話がひどく苦痛でした。もちろん基礎医学で優秀な研究者と競争するほど無謀でもありませんでした。そうなると進む道は自然と限られました。生きている人間ではなく、御遺体と対話する仕事で心の安寧を保つのが自分にとっての上策と結論したのです。

まず思い浮かべたのは病理学でしたが、臨床医と議論しなければならないこと、臨床医同様、自分の判断が生きている患者さんに大きな影響を与え、「間違えました。ごめんなさい」では済まされないことを考えると、日々感じる圧力や心的外傷のリスクは臨床医と何ら変わることがないことを知って、直ぐに諦めました。

そうして浮上した法医学には、大きな魅力がありました。およそ大学の中で、法医学以上に社会に対する影響力を持っている教室はありません。そして当時も同級生の中で卒後法医学に進もうという奇特な学生はいませんでした。社会的影響力が甚大なのに競争がない。これは、重症のコミュニケーション障害を抱えているくせに、「教授になりたい。できればスター教授になりたい」との密かな野望を持っていた私にとって,法医学は絶好の条件を備えているように思えました。

こうして私は何ともまあ気の早いことに,卒業まで2年以上を残していた4年生の時点で法医学者になろうと決め、法医学の授業は全て出席していました。そうして、いつも静かな物腰、穏やかな口調で講義をしてくださった岡嶋道夫先生(当時東京医科歯科大学教授。後に名誉教授)の講義の最終回が終わった後、教壇の岡嶋先生におそるおそる近づき、「卒後に教室にお世話になりたい」と申し出ました。

喜んでもらえると密かに期待したのは束の間でした。「科学研究の考え方、進め方、手法を法医学以外の分野で学んでから来ても遅くはないですよ」。それが、講義の時と全く同じく穏やかな口調で、あの色白で小柄な碩学の口から出た言葉でした。

岡嶋先生にそう言われたらその通りにするしかありません。きっと法医学でも役に立つだろうから、まずは病理をやろうと、講師をやっていた先輩にお願いしたところ、これまた全く反論の余地のない助言を受けました。「来るのはいいけど、バイトやらないと食っていけないぜ。卒後いきなり病理に来てバイト先で事故起こしても俺、面倒見切れないぜ。それに臨床医と議論できないと病理できないことぐらい、お前も知ってるだろ。まずは少なくとも1-2年臨床やってから来いよ」

こうして結局一番やりたくなかった臨床をやる羽目になって、35年経ちました。「私が今日あるのは、こういった方々のご助言のおかげです」 おそらくそれが私が今言うべき感謝の言葉なのでしょうが、そう素直に言えないのは、実際に35年経って、スター法医学者の姿を見せつけられたからです。

ウィル・スミス主演の映画「Concussion」は、アメリカンフットボールにおける反復性頭部外傷がChronic traumatic encephalopathy (CTE)の重大なリスクになることを明らかにした、ナイジェリア移民の法医学者ベネット・オマル医師の活躍を鮮やかに描いています。職、研究費、そして家族にまで脅威が及びながらも、米国の国技であり膨大な利権を生むアメリカンフットボールの花形選手が認知症のリスクを負う事実を明らかしようとするオマル医師の姿は,正にスターそのものです。そして、それに比べて・・・・と多くの人が思っていた太平洋の反対側の法医学界でも、ようやくスターが誕生しました。

これはスターにありがちなことなのですが、しばしば自分がスターだと自覚していません。凡人にできないことをやるのがスターですが、スター自身は、「自分 は、誰が考えても必要な仕事だからやっているだけで、それ自体は特別な事でも何でもない、ましてやスターになるためにやっ ているのではない」と思っています。実はそれがベネット・オマル医師と日本のスター法医学者に共通するスターの条件です。私は逆にスターになりたいとの欲望を決して隠そうとしなかった。岡嶋先生も病理学講師の先輩も、私のそういうところを見抜いていたのかもしれません。

法医学は社会に重大な影響力を持つ医学分野であり、本来の仕事がそのまま社会に向けてのアピールになります。にもかかわらず、 私の学生時代から今日まで、多くの若い人たちが、法医学は真っ暗な荒野で,そこには自分が歩む道も居場所もないと思ってきました。スターの使命は、実はそうではないことをわかってもらうことです.未来ある若い人たちに、社会に重大な影響力を持つ法医学という選択肢があることに気づいてもらうことです.

圧倒的な資金力や権力を持つ人々にとっての「不都合な真実」を敏感に感じ取り、長いものに巻かれ続けたまま一生を終わるお医者様達が圧倒的多数。それが太平洋の両側で共通する現実です。でもそういう現実こそが、スターが生まれる余地を生んでくれるのですから、少なくとも私にとってはありがたい。

かつて私がやろうとしてもできなかったことをやってくれるスターを、私は心から応援しています。そのスターへの応援として、自分には何ができるか、これからも考え、行動し続ければ、ひょっとしたら七光りのうち、一つぐらい、おこぼれに預かれるかも と,ちゃっかり皮算用しながら。

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一般市民としての医師と法