”想定外のことが起こるであろう可能性を想定内とするのが危機管理の基本” と書くと,随分偉そうに聞こえるが,わかったようなわからないような(名郷直樹風)
先日,医学生,研修医,勤務医,開業医が交じり合って,合計30人ばかりで神経学を学ぶ会に出席した.そこで,みなさんの前で,下肢の筋力低下を訴える患者さん(私にとっては全く初診)からお話を聞き,診察するセッションがあった.もちろん,患者さん本人の了解・希望があってのことである.
お話を聞いていて,ALS(筋萎縮性側索硬化症)の可能性が頭の中に浮かんだ.診察をしてもその疑念は消せなかった.患者さんは聡明で,冷静な方だった.
初診で,しかも,三十人の衆目の前とはいえ,この人なら真剣で打ちかかって来るかもしれない.その場合,こちらもそれなりの用意をしておかないと,一太刀で額を割られる.そうなったら,この世界ではもう生きていけない.やっぱり用意しておこう.
木刀での模範試合(それでもかなり緊迫したもので,うっかりすると木刀を叩き落されそうだった),つまり問診と診察が終わり,見立てをお話した.
”足の力が入らないのには,いろいろ原因が考えられます.大脳が発電所,それから高圧線が下ってきて,脊髄の運動を司る神経細胞が変電所,そこからまた電線が出てきて最終的に家庭電気製品に相当する筋肉が動くわけで,例えばテレビが映らない場合,発電所からテレビそのものまで,どこが悪いのかを考えてみましたが,○○さんの場合,変電所までは大丈夫なのです.またテレビそのもの,つまり筋肉も大丈夫だと思います.すると変電所から電柱や家庭内のブレーカーまでの間のどこかで障害が起こっていると思うのですが,それをこれからまた調べていきましょう.私の説明,御理解いただけましたか?”
”はい,よくわかりました”
”そうですか.何か聞き忘れたことはありませんかね.この際聞いておきたいこととか・・・”
”一つよろしいですか”
”はい”
”先生は具体的な病名を挙げられませんでしたが,ALSの可能性はいかがでしょうか”
私が尋ねたのは,普通のdoor knob questionであった.この患者さんに限らず,面接でいつでもやっていることだ.彼女からの問いかけを強引に引き出したわけではないことは,わかってもらえると思う.
塚原ト伝は鍋蓋で真剣を止めたそうだが,私はそれほど器用ではない.車椅子になるのは何ヶ月後か,気管切開,人工呼吸器はどうすべきかというその後の問いかけに対し,これまで経験した患者さんと同じように,一つ一つ答えただけだ.ただ一つ違っていたのは,いつもは診察室の中での果し合いに対して,その日に限って,学生さんを交えて30人の目撃者がいたということだ.