医師主導治験制度が2003年6月に始まってから,5年余りが経過したが,多くの医師がこの制度についてまだ誤解している.臨床開発に関わるこれまた多くの人が,日本中あちらこちらで,その誤解を解くために,膨大な労力,時間を浪費している.そんな苦労を解消したい方は,以下の説明を読むことをお勧めする.
最初に断っておくが,以下の解説の目的は医師主導治験に対する誤解を解くことであって,医師主導治験を否定することでも非難することでもない.医師主導治験を正しく理解した上で,臨床開発にかかわる人々の間での建設的な議論によって,医師主導治験という選択肢がうまく生かされるよう願っている.
薬事法に基づく治験と自主臨床試験の混同
医師主導治験は,一般の企業主導治験と同様,薬事法に基づく治験であり,その目的も規制も一般の企業主導治験と何ら変わるところがない.医師主導という言葉そのものが大いなる誤解を生んでいる.その誤解の本体は,自主臨床試験との混同である.医師が行なう臨床試験には,次の二種類がある.
1.企業による承認申請とは全く別個に,学問的な興味を主な動機として行なう臨床試験
2.薬事法に基づく承認申請を目的に行なう治験
医師主導治験は,あくまで2に属する.NEJMに投稿したいのだったら,医師主導治験にする必要は全く無い.1の自主臨床試験でやればよい.事実,いわゆる日本発の「エビデンス」の数々は,医師主導治験ではなく,薬事法GCPの規制がかからない既承認薬の市販後自主臨床試験として行われ,臨床のトップジャーナルに掲載されている.
医師主導治験は医師が企業と規制当局を助ける治験である
1.目的はあくまで承認申請:医師主導治験の最終目的は企業の承認申請,つまり,企業がその薬や医療機器を使って商売することを国に認めてもらうことである.NEJMやランセットへ論文投稿するためではない.だから,医師主導治験であろうとなかろうと,ICMJE(International Committee of Medical Journal Editors)の臨床試験登録システムに登録し,NEJMやランセットを目指すことができる.
2.医師は承認申請できない:最終目的である承認申請ができるのは企業だけである.医師は承認申請できない.
3.医師が主導するのではなく,資金も労力も提供する:一般の治験でも,企業が治験を依頼し,医師が実務を請け負う.わかりやすく表現すると,医師は下請けである.それでも,一般の治験の場合には,企業が治験費用を負担してくれる.ところが,これが医師主導治験となると,費用も医師が用意しなければならない.
4.医師主導治験の表向きの意義:では,何のために医師主導治験があるのか?一般的な説明は,以下の通りである.苦労して治験をやり,素晴らしいデータが出て承認され,世の中に商品が出たとしても,治験にかかった費用を回収できないと企業が判断した場合には,企業は治験をやらない.具体例としては多くの医薬品の小児への処方や,国内外の膨大なデータで,すでに適応外使用が当然となっている医薬品が挙げられる.この場合,黙っていても商品は売れるので,企業は敢えて治験をやらない.しかし医師側は,小児への適切な用法用量があいまいだったり,保険適応がないので査定されて困っていたりする.このような現場の問題点を解決するために医師主導治験があるのだと.たしかに,表向きの理由はそうだろう.しかし,私は,医師主導治験の真の目的は別のところにあると思っている.
医師主導治験は,医師が臨床試験を学ぶ場である
医師主導治験は,医師が臨床試験を学ぶ場である.プロトコール作成,規制当局との協議の積み重ね,GCP,データマネジメント・統計解析,メディカルライティング・・・・学生時代はもちろん,卒業後も一切関わり無く済んできたこれらの作業と一生縁が無く,「治験なんてくだらない仕事」「世界標準の薬を承認しない厚労省はけしからん」と言いながら,臨床試験の面白さを知らずに,医師として幼いまま死んでいく者も大勢いる.
しかし,私はそんな情けない医師ばかりだとは思っていない.この薬の適応外使用は現場では当たり前になっているのに,どうして厚労省は認めようとしないのか? この薬を早く認可してくれれば,自分の受け持ち患者さんだけでも3人がとても助かるのに,何をぐずぐずしているのだろうか?自分の使っている薬が,一体どうやって世の中に出てくるのか?一つの薬が世の中に出てくるまで,どこの組織のどんな人たちが関わっているのか?多くの人が,その建物の中に入りもせずに悪口を言う規制当局の中は一体どうなっているのだろうか?同じ臨床試験データの解釈が人によってばらばらなのは何故なのか?GCPって一体何のためにあるのだろうか?
人間生物学の知識や技術だけを積み重ねていっても,答えが決して得られないこれらの日常臨床上の素朴な疑問について考え,学び,伸びていく.そういう医師を育てることが,医師主導治験の本当の目的だと思っている.企業の助けを借りずに,初めから世界標準の自主臨床試験を組める医師の数は,日本でも10人に満たない.医師主導治験は,自分でプロトコールを作成し,規制当局と協議し,治験を管理,遂行し,データを吟味できる医師を育てる.言い換えれば,そういう作業を通して,自分が伸びていくことを楽しめない人間は,医師主導治験などやるべきではない.
臨床試験を計画し,実行できる医師を育てる
薬事法の「いろは」を知らないまま,多くの医師が医師主導治験と自主臨床試験を混同しているのを見て,嘲笑ってはならない.なぜなら,彼らは,臨床開発や薬事法について,全く教育を受ける機会がなかったからだ.
臨床開発に関わる人材育成はそこから始めねばならない.気が重い仕事だと思うだろうか?私はそうは思わない.臨床開発や薬事法に限れば,つまらない偏見を持たない,素直な,それこそ小学生のような無垢な人々の教育である.要点だけを教えれば,あとはすくすく伸びていく.こんなに楽しい仕事はない.
参考
臨床試験のためのeTrainingCenter:日本医師会治験促進センターが総力を挙げて作成した見事な労作です.ユーザーからのフィードバックも効いて,ますます充実.