指導医がどんくさいと思ったら
うちの父ちゃん中二病!:第55話「父ちゃんと団子」
反歌じゃなくて,返歌だと思うんですが,まあ,それは置いといて,業平に返したのは誰だったっけと思って調べてみました.
伊勢物語絵巻八二段(渚の院)
あっ,そうそう,当時右馬の頭だった業平(*)に惟喬親王がツッコミで返した・・・と思いきや,これが,「お供の仲間の一人」で↓,親王じゃなかったんですね.
さらにこの日は業平があと二つ「狩り暮らしたなばたつめに宿からむ」「あかなくにまだきも月のかくるるか」も,親王に ”よみて奉りける” なんですが,惟喬さん,二つとも返せずに,紀有常が「代返」してる.もしかしたら最初の返歌 ↑ も紀有常かいな.
惟喬親王って,第一皇子なのに天皇になれなかった運命に甘んじた「奥ゆかしい人」って定評がある人だったと思うんですが,奥ゆかしいんじゃなくて,ただ機転が利かなかい,どんくさい人だっただけなのかも・・・・.
*上記解説文中には 『記事中「その人の名忘れにけり」といって、わざと業平の名を隠しているのには、なにか深いわけがあるのであろう』とありますが,別に「深いわけ」ではなくて(だってここのエピソードは色事じゃないし,多分・・・),親王の顔を潰した形になってしまったので,名前を出せなかっただけだと思いますよ.
親王は勅撰歌人として、『古今和歌集』(2首)以下の勅撰和歌集に6首が採録されている とのことなので,返歌は苦手でも,自分一人でよく考えてから,いい歌を作った可能性もあります.
才能あるあなた,若くてぎらぎらしている時は,何事も静かに見守る指導医を「なんだ,こいつどんくさい奴だな」 なんて思うことがあるかもしれませんが,人をよく見てから評価するようにしましょうね.
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