「最新醫學」と怖い思い出
ひょんなきっかけで「最新醫學」の廃刊を知りました。最新医学社はそれ以外にもいくつか雑誌を出していましたが、同時に廃業となったようです。塩野義の子会社だったことは今回初めて知りました。
さて、1946 年に創刊しました「最新醫學」は、内科系統合医学雑誌として長い間多くの読者にご愛顧いただいて参りましたが、弊社の親会社である塩野義製薬株式会社は、2019 年 6 月号 (第 74 巻 第 6号)をもって月刊誌「最新醫學」を廃刊することを決定いたしました。(廃刊のお知らせ 株式会社 最新医学社 平成31年3月吉日


「最新醫學」にまつわる怖い思い出
「最新醫學」と聞いて決まって思い出すのは、私が4-5年目だったころの教授回診後のカンファレンスでの出来事です。1年目のプレゼンターが検査結果の解釈について論文に基づいて説明したところ「どんな雑誌に掲載されていた論文なのか?」と教授から問われた彼が「最新醫學です」と答えたところ「あんな商業誌に掲載された記事は論文とは言わんぞ!!オーベン(私ではありませんでした)は何やってる!!」と例によって怒声が飛びました。

「最新醫學」とは関係ない怖い思い出
それより2年ほど前でしたか、ワープロ出現以前の話です。これも商業誌の「内科」(南江堂)に単名で総説(題名、内容は覚えていません。後述のようにそれよりももっと大変なことがあったから)を書けとのお達しが教授からありました。商業誌からの依頼はペーペーに単名で書かせるのが教授の方針でしたが、締め切りの2週間前までに原稿を教授まで提出することになっていました。

商業誌掲載記事と雖も教室の名誉がかかっているから、任せっきりにしないという方針だったのです。提出翌日に真っ赤になって返ってきた原稿を最初に見た時は驚きはありませんでしたが、読み進めていくうちに、とある引用文献の訂正箇所を見て腰が抜けそうになりました。「N Eng J Med」を「N Engl J Med」と訂正してあったのです。とんでもない師匠に弟子入りしてしまったものだと呆然としましたが、後の祭りでした。
2023/1/5
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