下記は,私より10歳以上若いながらも,老荘と呼ばれる新進気鋭の医師との対話である.
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老荘:なぜなら根底では医療が人類の幸せに繋がることをどこかで信じていないからです。
私:”どこかで”どころか、まるきり信じていない人はどこにでもいるようです。
老荘:そんなふうだから,某記者に「老荘」と罵倒されましたがその通りだと思います。
私:ご謙遜のつもりが自慢になっちゃってるのに、それに気づかないのが、老荘先生の人気の秘密ですね。「老荘」と呼ばれるなんて羨ましい限りです。私も一度でいいから呼ばれてみたい。我慢していると、一生、誰も私をそう呼んでくれないから、正直に”ただの医者じゃない”を、”老荘と呼ばれたい”に書き換えようかな。
老荘:それは幸か不幸か有能であられる先生は道を楽しんでいても三顧の礼で引っ張りだされてしまうからです. 臓器移植法をめぐるさまざまな言説とか、生殖医療の実態とか,そういうことを学生時代から知っていれば,私は臨床医という仕事を選ばなかったかもしれません。
私:「歳月は慈悲を生ず」るそうです.医師免許を持ってから、しまった、後悔先に立たず と思いこんでしまい、そこが袋小路と決め込んでしまっている人を何人も見てきました。かつて私自身がそうでしたから、その気持ちはよくわかります。しかし一方では、永遠に解消しない袋小路が幻影に過ぎないこともよくわかるのです。それがわかるまで随分時間はかかりましたが。
私の場合、室生犀星と同様の気持ちで湯島を去り,埼玉県の山間の重症心身障害者施設に避難した時、35を過ぎてから徐々にです。そこで出会った最重度の精神遅滞者や、犀潟病院の精神障害者、痴呆のじいちゃん、ばあちゃんに、私の役割、存在感を認めてもらうことによって、私は救われました。去年あたりから、ようやく、医師免許を負い目に感じずに生きていける安心感が出てきました。勝一郎の言う慈悲には、自己に対する慈しみの気持も含まれる、そのことに気づくのに10年以上かかったことになります。その過程を、遅すぎた成熟と呼ぶか、単なる加齢現象と呼ぶかは別にして。
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