後の祭り:教授バージョン

出身医局から、次年度の人事に関する同門会の連絡文書を見て、やっぱり自分には教授は向いていないと改めて思った。今年の9月に定年予定の38年目から、3年目のレジデントまで、総勢125人。これだけの仲間の仕事と生活に自分が関わらなくてはならないのだ。その中で大学の教室員が29人。これだけの部下を守らなくてはならないのだ。

もちろん、みんな自立した大人である。しかし、自立した大人であろうとなかろうと、事故を起こすことはあるだろう。その時に部下のキャリアパスを守れるか?事故を起こさない部下には、働きやすい環境を確保できるか?

私には無理だ。もちろん神ならぬ身だから自分の限界は心得ているつもりだ。今、私の出身医局の教授も含めて大学教授をなさっている方々の多くも、自分にそう言い聞かせて、自分の能力の範囲内で、部下を守っているのだろう。

かつて私も、自分の限界をわきまえたつもりで、極めてわずかな数だが、部下のいる職位に就いたことがあった。でも、結果は惨憺たるものだった。

自分は利己的なのか?自分のやりたいことばかりやろうとして、決して他者を顧みようとしない非情な人間なのか?その問いかけにずっと苦しんできた。苦しみながら、いろいろ配慮したつもりで、行動しても、発言しても、得られるのはせいぜい苦笑いだった。そして他者を慮って行動するのも発言するのも止めた。そして部下のいる職位からも離れた。

私には他者が何を望んでいるのか推し量る能力がない。「他者を慮って」というのは間違いで、「他者を慮ったつもりになって」という表現が正しい。それ以前に、一体自分のやりたいこと、やっていることが周囲にどういう影響を与えるのか、理解できていない。そう気づいたのは、それから3年も経ってからだった。

「親の小言と冷酒は後で効く」の「親」を「親父」に限定すべきではない。そう気づいたのは、「お前はちっとも妹の面倒を見ようとしないんだから」 と、母親になじられてから、50年も経ってからだった。 50年前、私自身は妹の面倒を見ている「つもり」だった。だから、なぜ不当な非難を受けなければならないのかと思っていた。

「いくつになっても勉強だ」という耳障りの良いスローガンの裏には、「大切なことほど後になってわかる」という、冷徹な現実が隠れている。

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