新聞による学習機会損失

「医局で新聞なんぞ読んでいようものなら,大変だよ」「うちの教授もおんなじですよ.医局に新聞が置いてあるだけで,もの凄く不機嫌になるんです」

テレビジョンの受像機を自宅に置かなくなってから30年以上,新聞を購読しなくなってから20年以上経つ.その動機は複数あったはずだ.「はずだ」というのは,もう思い出すのも面倒だからだ.テレビジョンを見ない,新聞も購読しない.それが快適で何の不便も感じないならば,もう20年も30年も前のことなど,どうでもいいことだ.そう思っていたところ,今朝方のことだ.

チェキ一人勝ち、1000万台超えの裏にフィルム技術あり」という日経の記事がたまたまネットで目に入った.無料登録会員なら全文が読める記事だったが,他の多くの日経の記事同様,冒頭の4行を目にしただけで,それ以上は全く読む気がしなかった.それより気になったのはコダックのことだった.

「倒産したのはいつだったか?今はどうなっているんだろう?」そう思って,Wikipediaのイーストマン・コダックのページを見に行った.内容はそれなりに面白かったが,例によって,ページの隅が気になる私は,ハッセルブラッド が コダックのスウェーデン代理店だった縁から当初アメリカコダックよりレンズを供給していた」との記載を見つけて,今度はハッセルブラッドのページに飛んだ.

コダックが潰れてもハッセルブラッドは生き残っている.登山の趣味が無い私でも,「山岳写真と言えばハッセルブラッド」ぐらいは知っている.では,ハッセルブラッドが生き残ったのはどんな理由からなのだろうか?山岳写真に特化していたからだろうか?自然とそんな疑問が浮かんだからだった.

すると,「2017年1月、中国のドローンメーカー、DJIに買収された」とあった.(DJIがスェーデンの名門カメラ・メーカー、ハッセルブラッドを買収)えーっ,知らなかった!!下記はその記事から抜粋
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残念ながらハッセルブラッドの超高級カメラに特化した戦略はうまくいっていない。同社は最近ビジネス的に失敗を繰り返しており、何度も所有者が変わった。最近の例でいえば2011年にヨーロッパのファンド、Ventizzが買収している。今回の買収でハッセルブラッドは中国だけでなくアメリカやアジアにも強力な拠点を持つ強大なメーカーを親会社にすることになった。
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ありゃ,ハッセルブラッドも買収されちゃってたんだ.そんなこと,日経には載ってなかったよなと思いながら,Wikipediaのハッセルブラッドのページの歴史に戻ってみると,こんな話が載っていた.
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第二次世界大戦が始まるとドイツからの輸入が途絶えてスウェーデン軍は軍用カメラに困った。ある時領空侵犯し墜落したドイツ軍機から航空カメラを発見し、スウェーデン最大のカメラ輸入業者の家族の一員でありカメラの専門家であったフリッツ・ヴィクター・ハッセルブラッドの元に「同じ物を作ってくれ」という依頼が舞い込み、彼は「できません。しかし、それ以上に優れたものなら作れます」と答えたという逸話がある。そのドイツ航空カメラを研究し1941年に航空用HK7型7×9cm判レンズシャッターカメラを製造した。
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すげー,あたしもこんな台詞を死ぬまでに一度だけでいいから吐いてみたいもんだと思いながら,今度はツァイスのことを調べたくなるのが人情ってもんだ.そこにはこんな記載があった.
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第二次世界大戦の敗戦直後、ドイツの東西分断により、ドイツ東部にあったイェーナはソ連占領統治下に置かれた。しかしアメリカ軍はカール・ツァイスの光学技術をソ連にそのまま渡すことを阻止するためソ連軍に先んじてイェーナに入り、1945年6月24日に125名の技術者とその家族を拉致、また8万枚の図面とともにイェーナを出発、オーバーコッヘンに移動させ、ツァイス・オプトンとして光学機器の生産を引き継いだ[7]。一方ソ連軍はイェーナの工場群を接収、残った技術者もソ連に送った。これによってカール・ツァイスは東西に分裂した。(注:イェーナは旧東ドイツの最西端にあったチューリンゲン州の都市)
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ここまで10分か15分ほどだったろうか.何が言いたいかというと,最初の,「チェキ一人勝ち」の記事を紙の新聞記事として読んだ場合には,絶対にこういう展開にはならなかったということだ.紙に印刷された記事を読み終えてから,わざわざPCの電源を入れて,ブラウザ起動を待ってコダックやらハッセルブラッドやらツァイスやらについて調べるほど,私は暇ではない.テレビ番組の場合にも,もちろん同様のことが言える.

「チェキ一人勝ち」がネット記事だったからこそ,ツァイスが東西に分断された歴史を知らずに死んでいく事態を免れた.新聞を購読していたら,テレビジョンの受像機が家に置いてあったなら,この,ドイツ現代史オタクにとっての望外の喜びは,決して得られなかっただろう.

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