昔も今も関東軍

2004年7月11日に行われた第20回参議院選挙で,自民党比例区から初出馬・当選した日本医師会常任理事の西島英利の得票は25万票で5位.一位の竹中平蔵の72万票には到底及ばないのは仕方ないとしても、25万票という数字にはどんな意味があるのか,考えてみよう.

日本医師会会員数は16万人(2003年12月1日現在)。かつて、医者のかばんの中には10票入っていると言われたほど、集票力を誇った医師会がこの体たらくである。16万人の会員が、25万票しか集められないということは、自分の家族さえ把握できなかったことになる。

今回、議席を獲得できなかったが,医師会の4倍近くも票を集めたのが,木枯らし紋次郎の中村敦夫率いるみどりの会議.その数なんと90万票。それに比べると、医師会の集票力は地に落ちた感がある。もし医師会が自民党の方針に反対して独自に医師会党として戦っても、泡沫候補として世間の笑いものになることが,この数字だけ見てもわかる。診療報酬引き下げを巡って大声で怒鳴っても,所詮は自民党の傘の下を離れてはやっていけいない,情けない寄生虫のような存在が日医である.

前回の3年前の参院選で、同じ日医連推薦の武見敬三が、わずか23万票しか獲得できなかったことに危機感を感じ、”日医連としても今までになく力を入れて戦った”(植松治雄・日医連会長)にもかかわらず、2万票しか上積みできなかった。これでは、足元を見られてしまう。自民党の中でも相手にしてもらえまい。前回の参院選では,160万票を集めた舛添 要一から、”20万票ちょっとしか集められない医師会の言うことなど,誰も聞いちゃいない”と罵倒されたが、そう思っているのは枡添だけではない。これからの政策立案は日医を全く無視して進むだろう。

会長殿は,伸びなかった票の原因に対して”国民や医師会員の政治離れ”と考察してるが、政治離れのことは考えても”日医離れ”のことは頭にないらしい。

昔,関東軍,今,○○という,ひどく昔風な表現は,普通は,独断専行,横暴極まりない組織を表すのに使う.だから,かつて,保険医総辞退を行い,厚生大臣を平伏させた時代には,昔,関東軍,今,日医と言われた.

では今の日医どうだろうか.遠くになりにけりだろうか.いや,私は,今でも,日医を関東軍に例えることはできると思う.ただし,その関東軍とは,帝国陸軍最強集団と言われて,満州で横暴の限りを尽くした軍隊ではなく,大東亜戦争という無謀な戦いの中で,民間人を守るという,最低限の義務も果たさずに,ソ連軍が火事場泥棒のように侵入してくるはるか以前に,跡形もなく溶けて無くなってしまっていた炎天下の氷のような存在である.

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