頑
張るのではなく
なかなかいいこと書いてある。所帯を持っていなくても、性別に関わらず、参考になるよ。要は、頑張るのではなく、”粘る”ってことかな。それにしても、「できません」
という気持ちの着地ってえのは、谷川俊太郎顔負けの素晴らしいコピーだね。
下記は抜粋。原文は、『ジャミックジャーナル2005年3月号』に掲載。
産後5カ月の五十嵐氏が常勤医として県立新庄病院に着任したとき、麻酔科は専門医2人体制で、2日に1度はポケットベルがまわってきていた。しかも、1
歳半を過ぎても、娘の夜泣きがひどく、この間3時間以上眠ることはなかったという。それでも、がんばり続けていた。ところが、両立できない、と感じる決定
打が起きる。
「夜泣きしているこどもに母乳を与えているところに、ポケットベルが鳴りました。17歳の男の子への緊急手術のためにすぐに来るように、とのことでした。
泣きながらすごい勢いでおっぱいを飲んでいる娘を投げ出して行くこともできず、かといって、将来のある若者のその後に何かあったら私の責任としか思えませ
ん。幸い間に合い、回復されたのですが、これでは、医者としても母親としても、すべてを失うと思いました。そこで、なんと思われてもいいや、この生活はや
めよう、という心境に達し、医局にパート医になることを願い出ました」
「私はみんなが思っているようながんばり屋ではないし、自分を犠牲にしてなんてできないよ、とさっさといってしまったので、ずいぶん楽になりました」
これまでは、一部の女性医師の先達が、偉大ながんばりによって、仕事と育児を両立させてきました。ところが、そういうロールモデルでは持ちこたえられませ
ん。“あんなこともこんなこともできなかった”とあっけらかんとしていられる人もいないと。これだけ多くの女子学生を国の税金で育てても、そのうちかなり
の割合の人が結婚や子育てで仕事をやめて一生医師として生きないのであれば、これほどの税金の無駄遣いはないと思います」
「同僚が仕事を続けている職場を去ることに後ろめたさを感じても、“悪いな、と思っちゃいけない”と帰ることにしています。少々の熱があっても、子どもを
保育園に預けてしまう。育児も仕事も中途半端でいいから続けるしかない、と今は思います」
「これからの人たちには、どういうかたちでも続けていって欲しいと思います。一度諦めてしまうと、医学の進歩の速さについていかれず自信も失います。自虐
的になる必要はないので、無理を感じてやめてしまっても、医療界と絶縁するのではなく、人間的な交流などの絆は捨てず、未練を持ち続けている間に復活の
チャンスを探ることはできると思います」
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