衆愚の研究
すこしのことにも、先達はあらまほしき事なのだから、大事ならばなおのこと。ではその先達はあったのか?もちろんあった。
しかも純国産で知らぬ者のない、それでいて、八十余年経った今もなお、学術研究の対象になっている衆愚が。
こんなにわかりやすい先例があった。けれども連中はその先例に学ぶどころか、逆にそれを丸ごとなぞった。これを衆愚と呼ばずして何と呼ぼうぞ。
「理系」では無理。ましてや医師資格を持った連中が「反省」なんぞ片腹痛い。ここはどうしても文系でなければ(社会学の文脈が不可欠)。
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