医療を志す人へ

ある高校生の方から,差出人不明で,クロイツフェルト・ヤコブ病に関する質問のメールをもらったので,その不備を指摘したところ,詫び状が返ってきた.彼女は将来医療現場で働きたいとのこと.”これから医療を志すにあたって大切な事はなんでしょうか?”と問われた.その回答が下記である.

大切なことは二つあります.
第一に広く学ぶ心です.学生は学校の授業を大切にして下さい.いつの時代でも学校の授業は学問の基本です.どんな教科でも厭わず勉強してください.そしてテストでいい点を取るように努力してください.テストは,学問となるべき学校の授業を大切にしたかどうかの一番いい指標です.

医学を学ぶためには,生物学をやらなければなんて短絡的な思考は絶対にいけません.そのような短絡的な思考は,人を診ずに病気を相手にするような下劣な医療につながります.生物学が好きなら好きでいいですが,語学,政治,倫理,経済,歴史,文学といった学問も大切にして下さい.医療では,人間を相手にします.人間は単なる生物ではありません.社会的な活動をする存在です.ですから,人間の活動に社会的な活動に伴って生まれてきた学問のことを知らねばなりません.

特に語学は大切です.人間の意思疎通の手段だからです.意思疎通できなければ医療は成り立ちません.ということで,まず,日本語の読み書きが一番大切です.しかし,現在の日本の学校教育システムでは,日本語の読み書きを教える仕組みがありません. その証拠に,あなたは,自分の事情を説明せず,いきなり質問を私に投げかけてしまいました.これはあなたが,日本語による意志伝達の教育を受けてこなかったという何よりの証拠です.責任はあなたにあるのではなく,日本語を教えない日本の学校教育システムにあります.国語という科目はありますが,あれは日本語教育ではなく,文学史の教育です.

しかし,教育システムの欠陥を嘆いてばかりいても日本語は上達しないので,こればかりは独学になります.一番手っ取り早い訓練方法は,手紙を書くことです.手紙は,相手に自分の考えを簡潔にわかりやすく伝え,自分が満足するような返事をもらうために書きます.直接面と向かって話ができないのですから,そのような不利な条件を補うために,さんざん苦心して文章を書くのが,何よりの日本語の訓練になるのです.きちんと手紙が書ければ,会話はそれよりも簡単です.

日本語がきちんと読み書き,会話ができるようになれば,あとはどんな言語でも大丈夫です.英語も読み書きが基本です.きちんと読み書きができれば,会話は必要に応じて上達していきます.日本人は英語は読み書きができるが,会話ができないとかいう馬鹿げた俗説に惑わされてはいけません.会話なんてのは,読み書きの基本がきちんとできてさえいれば,必要に迫られたらいくらでも喋れるようになれるし,喋る必要がなければ喋れなくてもいいのです.

日本の日本語教育に比べると,日本の英語教育は世界最高水準にあります.日本人の学ぶ英語は世界で一番整った,正統派の英語です.安心して学校の英語を学んでください.英国で2年間生活していた時,私は,高校時代の英語の勉強が本当に役立って,高校時代の英語の教師に,改めて感謝と尊敬の念が沸きました

第二に大切なのは,多数意見を疑う心です.どんな学問も,多数意見や定説を疑うところから出発します.多数意見には,必ずおかしなところがあります.誰でも楽をしたい.だから安易に多数意見に賛成する.でも安易な人が支持する意見だから,隙だらけ,欠陥だらけなのです.そういう意見を必ず疑わなくてはいけない.”みんながそう言っている”という時は,必ずいかさま,ごまかしがあります.それを見つけ出し,愚かな多数派に対して,なぜ間違っているかを指摘し,議論で打ち負かす.そういう訓練を経て,はじめて,”自分の頭で考える”ことができます.

わかりましたか?医療のための特別な学問なんてないんです.人間を診るのですから,人間同士の意思疎通を円滑に行ない,社会的な存在である人間を理解するために学ぶのです.

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