勤務医不足だという.その原因の一つに,勤務医を辞めて開業する医者の増加があげられている.これは一体どうしてだろうかと,勤務医をやったことのない幸運な人は思うだろう.
一昔前までは,開業は,リスクが高いから銀行も金を貸してくれないし,儲からない,腕に覚えがあっても,勤務医に比べて評価されないし,世間の目も冷たいし,訴訟を起こされやすい・・・デメリットばかり強調されていた.一方,病院の中では,サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだという,他の業界では疾うの昔に死語となった古の流行歌の歌詞がまだ生きていた.
それがここ数年,急激な環境変化が病院勤務医を襲った.顧客満足のための労働強化で庶務課長役,医療訴訟の増加に伴う労働強化でリスクマネジメント委員役兼感染対策委員役,研修医教育に伴う労働強化で指導医役,経営改善のための労働強化で医事課長役,IT化・電子カルテに伴う労働強化でSE役・・・私みたいな不良は頭から拒否するが,真面目な医者ほど,これらの苦役を背負い込む.そうすると,なんだこれ,自分が開業してやることと同じじゃないか.いや,開業の方がずっとましだ.MRSA騒ぎの尻拭いなんてしないで済むし,出来の悪い電子カルテとの死闘ともおさらばだ.自分で気に入ったやつを選べばいいから.そう思ったら,開業する気になっていた というわけだ.
もちろん,開業のリスクが減ったわけじゃない.医療費削減を支持する国民の皆様のおかげで,ますます商売は苦しくなっている.それでも開業志向が強まっているのは,勤務医の魅力がなくなってしまったからだ.勤務医を辞めて開業していく世代の多くは,一昔前の勤務医優位時代,外来は9時半に始めればよく,研究日があり学会出張の旅費が出て,当直も2週間に一遍やればよかった古きよき時代を知っている.知っているだけに,今昔の落差に耐えられないのだ.
ISO取得,病院機能評価取得,コストを削減しろ,8時半には外来に出ろ,患者さんがお待ちです.いや,患者さんではありません,患者様と呼びませう.どんなに従順な人間でも,これだけ言われたら,ああ,もうスローガンにこき使われるのは真っ平御免だと思う.すべては患者様のためにだって,ああ,結構だね.私は文句は言わないよ.錦の御旗に喧嘩を売るほど私は馬鹿じゃない.そう言いながらみんな辞めて開業していく、開業するほど度胸も金もない連中も,インパールで犬死は御免だとばかり,敵前逃亡して役所や生命保険会社や製薬会社に身を潜めるというわけだ。
経営者や世間様の叱咤激励によって,病院の評判が良くなったとしよう.すると,次のようなサイクルが始まる.評判が良くなる→客が増える→忙しくなる→誰かが音を上げて辞める→もっと忙しくなる→もっと辞める→診療できなくなる.こんなところまで読んできてくれたあなたなら,私が冗談を言っているのではないことはすぐわかってくれるだろう.このサイクルの怖いところは,別に病院の評判が良くなくても,何かのきっかけで誰かが辞めれば,すぐにサイクルが回りだすことだ.
だから、ほとんどの勤務医は,外部から高い評価をもらおうとする経営者を心底から馬鹿にしている.客が多くても自分の給料は上がらず、過労死のリスクが増えるだけ。病院ベンチマークコンテストで優等賞なんて悪夢以外の何物でもないと思っている。
声高に,病院理念だのISOだの病院機能評価取得だのコスト削減だのと叫ぶばかりで,真面目な医者をいじめ抜いた結果が,小児科、麻酔科、産科といった労働負担の重い診療科の勤務医不足となっている。しかし,医者が足りないのは,こういう科ばかりじゃないってことは,それこそ病院経営者の皆様もよくご存知の通り.どこもかしこも見事なまでの勤務医不足.これだけ医者不足が流行するってことは,きっと,それを密かに歓迎している人もいればこそなのだろう。
参考:
岩井 克人(東京大学経済学部教授)は,井部 俊子(聖路加看護大学学長)との対談の中で,機械制工場が利益の源泉だった「産業資本主義」の時代から,人材の違いによって利益を生み出す「ポスト産業資本主義」に移っているのに,病院は,当初からポスト産業資本主義の形態をとっていたのに,現代になって,そういう時代の流れに逆行して,検査や治療のための巨大な装置がたくさん入ってきて,その装置がお金を生み出す「産業資本主義」になるという,普通の会社と全く逆の歴史を辿っていると喝破している.しかし,大きな歴史の流れの中で,病院のみが孤高を堅持できるとは思えない.特に人的資源がサービスに占める比重が大きい医療分野では,「ポスト産業資本主義」への回帰の流れはすでに始まっており,かつ流れの速さも急激に増していると私は考えている.