大学教授の最大の弱点は、教育を受ける機会が奪われていることである。
インパクトファクターや手術症例数や経験年数は、コミュニケーション能力や管理能力といったsocial skillの指標になりえない。人事考課の仕組みを考えてみても、選考委員会を構成するのも教授だから、類は類を呼ぶことになり、social skillが全くない人物が教授として再生産される確率が極めて高くなる。
そのような人間が教授になれば、自分はあらゆる点で他の人種以外よりも優れているとの妄想に支配される。そのような妄想に支配された人物は、自分の欠点を自覚し、それを修正するために、部下や教え子に教えを乞い、学習することなど、思いもよらない。
それまで、上司から、何とかかんとか、どんな不完全な形にせよ、教育を受けていた人間が、教授になったとたん、教育を受けられなくなる。学習することを止めてしまう。
教育を受けられず、学習することを止めてしまった人間。そんな人間が教育に携わってよいものだろうか?