早い,安い,旨い臨床研究を目指して
ー意識障害の診断におけるバイタルサインの価値の研究からー
JIM(Journal of Integrated Medicine:医学書院総合診療誌)2007年2月号より
Keword:トップジャーナル,生物統計,インパクトファクター,EBM
臨床研究の不人気の理由は?
私が医学生になる以前から,患者を診るよりもネズミの世話に熱心な医者がいるとの非難は,あちこちから聞こえていた.今,臨床研究が雑誌の特集に取り上げ
られる理由は何だろうか?基礎医学研究費の先細りだろうか?あるいは,一部の臨床医に根強く残るNature, Science信仰を叩くためだろうか?
国を挙げての生命科学振興策の成果ゆえか,基礎系トップジャーナル4誌における日本人の著者比率は,いずれも5位以内,日本より常に上なのは米国のみとい
う抜群の成績を示している(表).一方,臨床のトップジャーナルでの比率は,14位以下に低迷している.一体,何が臨床研究の障害となっているのだろう
か? 時間か,費用か,面白さの欠如か? 早い,安い,旨いの三拍子揃った臨床研究など,夢のまた夢なのだろうか?
表 基礎系および臨床系トップジャーナルにおける日本人著者比率
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基礎系
順位
論文数 %
NATURE
4位
432報 8.63%
SCIENCE
5位 312報
7.19%
NATURE MEDICINE 3位 81報 10.87%
CELL
3位
91報 7.36%
臨床系
N Engl J Med 15位 28報 1.90%
JAMA
20位
9報 0.55%
LANCET
16位 59報
2.46%
ANN INTERN MED 14位 9報 1.21%
BMJ
35位 5報 0.21%
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2001-2005年の5年間でArticleだけに絞った場合のhit数.南郷栄秀氏による
Road to BMJ:グラウンドにはゼニが落ちている
早い,安い,旨い臨床研究のネタはどこにあるのだろうかと迷う必要は全くない.「グラウンドにはゼニが落ちている」は鶴岡一人の名言だが,臨床研究のネタも臨床現場に落ちている.あなたがやっている日常診療での疑問が,そのまま,Road to BMJとなる.以下に実例を示す.
今を去ること四半世紀,脳梗塞急性期では脳血流を維持するためにしばしば反応性に血圧が高いこと,だから決して降圧してはならないと,駆け出しの私は指導
医から教わっていた.一方で,こちらから肺塞栓症や敗血症を指摘してやらない限り,
“収縮期血圧60の昏睡患者の頭部CTを撮影して,脳出血がなければ脳梗塞を疑う”藪医者も大勢いた.こういう連中には,簡潔明快なメッセージが必要だっ
た.
“意識障害患者では,血圧が高ければ脳内病変,血圧が低ければ全身疾患を疑う”そんな仮説を証明できればと,研修医時代から願いつづけて20年がたとうと
していた.ちょうど親しくしていた同級生が亡くなった時期でもあり,自分が生きているうちに,長年の懸案に自分の手で決着をつけようと決心した.
データ収集に着手したのが,2000年の夏休みで,最終的に原稿が仕上がったのが,1年後の2001年の夏.BMJに受理されたのが翌2002年の3月,
出版が8月だった.その間行なったのは,ワークシートへのデータ打ち込みと,基本的な統計処理だけで,研究にかかった費用はゼロに等しい.病院勤めを続け
ながら,夏休みや年末年始の休みを利用し,試験デザインを作成し,データを分析していく際に,大いに活用したのは,
EBMの基本的な教科書であり,特別に生物統計の勉強をしたというわけではなかったが、それこそネズミの世話を熱心にしていた大学院生時代に生物統計の基
礎を学べたことは幸いだった.英文論文の執筆と投稿にも、基礎医学研究での経験が大いに役だったことは後述する.
目指せトップジャーナル
基礎研究者なら誰でも夢見るのがNature, Scienceなら,臨床医なら夢見るのがN Engl J
Med,Lancetである.自分のつまらない仕事なんか,と決して思ってはいけない.つまらない仕事だと思った途端,やる気が失せて,本当につまらない
仕事になってしまう.目指せN Engl J Med,目指せLancetの気概が,臨床研究の最大の原動力である.
自分の仕事を論文にしないまま埋もれさせておくのは,自分と研究仲間の努力,協力してくれた患者さんに対する背信行為である.論文をトップジャーナルに載せる意義は,名誉を得るためでも,インパクトファクターを稼ぐためでもない.どこの図書館にも必ず置いてある雑誌に載せることによって,自分が心血を注いだ仕事の成果を,世界中の人々に伝え,役立ててもらうことにある.
私が,BMJに載せた自分の論文を一番誇らしく思ったのは,ベス・イスラエル病院で働いていた,ある日本人呼吸器内科フェローが,合衆国を離れ,ロンドン
で熱帯医学・公衆衛生を学ぶ準備のために一時帰国した際に,銀座にある食堂で初めて会った時だ.この活動的な勉強家との歓談の中で,意識障害の診断につい
て触れたところ,“そういえば,血圧を測るだけで意識障害患者の頭蓋内病変の有無が推測できるという、とても面白い論文をベス・イスラエルの抄読会で紹介
した”と彼が言ってくれたのを受けて,それは私が書いたものだと告げた時の彼の驚いた顔が,今でも目に浮かぶ.自分の論文が,ニューヨーク,ロンドンはお
ろか,カンパラでも,カブールでも,ブエノスアイレスでも読まれ,診療に役立っていると想像しただけで幸せな気分になれる。トップジャーナルを目指す意義
はまさにそこにある.
英文論文投稿のために
自分の研究成果を,国内外を問わず,より多くの人に活用してもらう前に,英文原稿の執筆・推敲,ジャーナルへの投稿,編集者やレフェリーのコメントを受け
ての改訂と回答作成といった,実務的な仕事が待ち受けている.私の場合は,基礎研究で,英文論文投稿の豊富な経験が大いに役立った.
臨床医に基礎医学研究の経歴があっても,通常は評価してもらえない.特に臨床研修が必修となり,臨床教育の重要性が強調されるようになってから,この傾向
が強い.基礎医学研究経験のある臨床医にとって肩身の狭い世の中になったものだ.しかし,決して自分の経歴を卑下する必要はない.上記のような実務経験ば
かりでなく,研究を遂行するにあたっての問題点を予想し,それに対応できる試験計画を立て,遂行し,出てきたデータを吟味し,論文として発表し,批判を受
けることの大切さは,基礎・臨床に共通している.
どんなに素晴らしい発想があっても,生物統計の立場からの吟味なしには,優れた臨床研究は生まれない.しかし,残念ながら,今の日本では,企業主導の研究
でもない限り,生物統計家の助言を受けることは困難である.となると,研究者自身が,生物統計を学ばなくてはならない.短期間の生物統計研修コースは,国
立保健医療科学院や,日本科学技術連盟が設けているが,私が勤務するPMDAでは,多数の臨床試験プロトコールや試験結果を,生物統計家を含むチームで審
査することによって,生物統計の何たるかを徹底的に学ぶことができる.ご興味のある方は著者までご連絡いただきたい.
謝辞:日本人著者比率のデータを御教示いただきました虎の門病院分院 内科総合診療科 南郷栄秀先生に深謝いたします.
文献
Ikeda M et al. Using vital signs to diagnose
impaired consciousness: cross sectional observational study. BMJ
325:800, 2002.
<バイタルサインという最も基本的な臨床情報が,意識障害の診断という最も困難な臨床判断に役立つことを,一介の臨床医が研究費を一切使わずに証明した画
期的な論文>
古川 壽亮: エビデンス精神医療―EBPの基礎から臨床まで.医学書院,2000.<論文の批判的吟味を通して,臨床研究の方法論と意義を学ぶことができる.精神医療以外の臨床研究でも多いに役立つ.>
Lester S. King (著), 助川 尚子 (翻訳), 日野原 重明 (翻訳)
なぜ明快に書けないのか―英語医学・科学論文の診断と治療.メディカルサイエンスインターナショナル,1992.<題名通り,すでに発表されている論文の
問題点を診断し,どのように治療するかが明確に示されている>
市原 A・エリザベス.ライフ・サイエンスにおける 英語論文の書き方.共立出版 ,1982.<正統派の,簡潔明瞭な英文を書くため指針を示してくれる>
鶴岡 一人(つるおか かずと,1916年- 2000年)は,南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の黄金時代を築いた名監督.選手の職業意識向上のため,「グラウンドにはゼニが落ちている」という名言を吐いた.
インパクトファクター
(Impact Factor) は,科学学術雑誌の影響力の指標.文献データベースWeb of
Scienceのデータを元にトムソンサイエンティフィック社が算出している.インパクトファクターの高い雑誌に自分の論文を載せるために人生の全てを賭
けるか,インパクトファクターを軽蔑して全く論文を書かないかの二つの類型のどちらにも分類されない医師は極めて例外的な存在である.
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