でっち上げ対照比較自己劣性試験の問題点について指摘したからには,その対極にある自己満足の問題点についても言及すべきだとあなたは考えるかもしれない.では,自己満足のどこが悪いのだろうか?
実は自己満足はどこも悪くない.それどころか,自己満足こそが,万人共通のハードエンドポイント=幸せな気分の本体である.一番大切な自分さえ満足させられずに,どうして他人を満足させることができようか.自分が幸せな気分になって,初めて他人にその幸せを分け与える余裕ができるというものだ.それでも納得できない向きは,具体例を挙げて考えてみるがいい.
たとえば,あなたの学校時代の同級生が,あなたよりもずっと早く出世,たとえば大学教授になったとする.そいつは,あなたからも,また他の同級生から見ても,学生時代から,ちゃらんぽらんで,どうして出世したのか不思議で仕方がない.そして,先日行なわれた同窓会でも,そいつは,謙虚になるどころか,ひどく上機嫌で,鼻息が荒かったとする.
あなたは,彼を評して,「自己満足に陥っている」と思うかもしれない.だとしたら,自己満足はとても素敵なことだ.だってそうだろう.彼は,自分で幸せな気分になっている.そして,誰も不幸せにしていない.
えっ?「彼の部下は確実に不幸せになると思うけどね」 だって? ちょっと待った.あんた何様のつもりだ.あんたが彼の代わりに教授になって部下を幸せにできるとでもいうのか?そうじゃないだろ.こんなところを読んでいるあなたはそれ程思い上がってはいないはずだ.
教授になったことを素直に喜んでいる彼には,他人を幸せにする力がある.少なくとも,「教授なんて雑用係だ」と嘆きつつも教授の椅子にしがみついている人間より,はるかに部下を幸せにできる可能性がある.
そもそもあなたは教授になりたいのか?なりたくないのか?
なりたいのだとしたら,教授を目指せばいいじゃないか.ただし,あなたを教授にするかどうかは,あなたが決めることではない.その大学の教授会が決めることだ.それは,ほとんどあなたのコントロールの範囲外にある.だから,結果的に教授になれなくても,あなたの責任ではない.それに,教授になるのは,あくまで幸せな気分になるための代用エンドポイント(手段)に過ぎない.だから,教授になれなければ,他の方法で幸せな気分になればいいだけのことだ.
おそらく全てのメンバーがあなたの専門分野以外の人々(なぜなら,当該分野の専門家が教授会のメンバーにいないから教授選考をやっているのだからね)で占められる教授会が判断できるのは,獲得研究費の額とインパクトファクターの合計だけであって,あなたの業績の真の意味が理解できるはずがないのだ.だから,あなたが教授になれなかったからといって,あなたの仕事が否定されたわけでは決してない.
一方,教授という名の雑用係なんて真っ平ごめんだというのなら,それも結構.彼のような奇特な人が教授を引き受けてくれれば,こんなにありがたいことはないだろう.うっかりしていたら,あなたの素晴らしい業績が教授会の目に止まって,教授のお鉢があなたに回ってきたかもしれないところだったのに,彼が引き受けてくれたのだから.それで,あなたも満足,彼も満足.捨てる神と拾う神.自己満足同士のWin/Winそのものだ.
上記の設定は,大学教授だけではない.部長,議員,院長など,ある人は面倒だと思い,他の人は憧れる職業全てに当てはまることだ.