これでいいのだ。

認知行動療法、べてる式。の帯に,そう書いてある.

本思えば,バカボンのパパの強さは,心に病を負った全ての者にとって憧れだった.この言葉を求めて我々は彷徨っている.今の世の中,どんなに不満があろうとも,自分の気持ちは口に出せない.なぜなら,そんなことをうっかり漏らそうものなら,すわ,うちの会社は心の病に優しい.明日から仕事に来なくていいから,精神科に行きなさいだ.私の意見に対して、それはお前の妄想だと断じた上司と喧嘩できた時代がひどく懐かしい。病人のレッテルを貼らずに対等に扱ってくれたからこそ喧嘩ができたのだ。

そもそも,ノーマライゼーションという言葉自体が,”健常者”を自称する集団の思い上がりの産物である.彼らは,不老不死という,超一級の妄想に憑りつかれながら,それを当然の権利として追い求める哀れな病者に過ぎないのに,自分達以外を病人と呼び,あたかも自分達の方がはるかに幸せな人生を送っているかの如きドグマを散布し,健康教で世界征服が可能だと本気で信じ込んでいる.

一方,浦河では,精神疾患の”当事者”が持っている”問題”(不安,焦燥感,抑鬱気分から幻覚,妄想といった精神症状から,日常生活の困り事まで含めたあらゆる問題)は,資産であると考えられている.なぜ資産かというと,その問題の解決法を生み出す源になるからだ.いや,そればかりではない.問題解決を議論する過程で,コミュニケーションが生まれ,人と人とのつながりが強化され、問題解決のスキルが共有されていく.

もちろん,どの問題も完全に解決されることはない.共有資源を枯渇させてはならないからだ.「勝手に治すな自分の病気」が,べてるの理念である.浦河には健常者ファシズムは微塵もない.これでいいのだ。

(2007年10月)

健常人が,超健康を追い求めるのはなぜか? 一億総始皇帝化はなぜ起こるのか?それは,「これでいいのだ。」と自分で言い切れる自信がないからだ.「それで順調」と言ってもらえないからだ.一方,べてるの当事者達は,自分で,「これでいいのだ。」と自分で言い切れる自信に満ち溢れ,仲間からも,「それで順調」と言ってもらえる.だから,健常人はべてるが羨ましくって仕方がなくなるのだ.そんな哀れな健常人たちに,次の言葉を送ろう.

当事者なおもて順調,況や健常人をや

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