不染居

一箇所にじっくりと腰を据えて仕事をするのが苦手だ.22年前に働き始めてから,ここは13番目の職場,一箇所での平均在籍期間が2年に満たないことになる.なぜこのようにあちこちを転々とするのだろうか.

他人はどう考えるかいざ知らず,自分ではトラブルメーカーという自覚はない.いつも学問の場所を求めてきた結果こうなったと言いたいが,そう思っているのは本人だけか.

その時々で学びたい学問が,いろいろな事情で,ある時は人体病理学であり,ある時はマウスの行動薬理学であり,またある時は薬事行政だった.

多芸多才と自慢するつもりはさらさらない.とにかく試合に出してもらうためには,チームのポジションで欠けているところに自分で手を挙げて,使ってもらうしか手がなかっただけだ.その証拠には,私がこれまで放浪したところは,すべて医療過疎地だった.誰も行きたがらないところにしか,働き口がなかった.

ベッド数850床,年間剖検数が400の総合病院で,たった一人の神経内科医だった.誰も行きたがらなかった.可哀想にとみんな同情してくれた.埼玉の丘陵地帯の真中の人里離れた重度精神遅滞施設に勤務を希望した時は,誰もが”どうして”と心配してくれたが.上越の海べりにある精神病院に行った時は,誰も呆れ果てて理由を聞かなくなった.

そしてここ霞ヶ関もひどい医療過疎.だってFDAには300人医者がいるのに,こっちはたったの10人..新薬の品目は海の向こうとこちらでは変わらないから,こっちは正味30分の1.大東亜戦争の時の戦力比だって,これほどひどくなかった.だから,ここも医療過疎地.その証拠に,医者のポジションはいつまでたっても埋まらない.

一つのポジションでは決して正選手になれない私のような人間は,北斎が不染居の号を有し,引越しを繰り返したと聞くと,北斎みたいな才能が自分にもあるような妄想が生じて爽快な気分となる.競争には勝てない私にとって,そこが一つの救いだった.

居場所の定まらない遊び人人生を説明できる理由は,実はそれだけではない.それは,ごく平凡な感情,すなわち,老化,衰退への恐怖感である.

私は,同じ所に留まって牢名主になっていく自分を想像するだけでも吐き気を催す.年寄り扱いされ,敬遠され,誰にも相手にしてもらえなくなり,陰口も聞こえてこなくなる.

いや,耳が遠くなるだけなら,まだいい.経験豊かという誉め言葉が,年寄りは黙っていてくれという本音に聞こえる,そんなふうに耳が敏感になるのが始末に困る.そんな典型的な老化現象から逃れるためには,駆け出しとして扱ってくれる新しい職場に移るのが一番効果的だ.流浪の職歴は,その結果に過ぎない.おかげで,BSE評論家,新規医薬品承認申請審査員,病院リスクマネジメント評論家,病理解剖当番引受人,スコットランド留学・旅行案内業,知的障害・精神障害専門ソーシャルワーカー,神経内科病歴・症候学インストラクター,といったマルチフリーターになれたわけだが.

尊敬は要らない.尊重してもらいたい.研修医として,学徒として.いつまでも若くありたいと願う気持ちには謙虚でありたい.そして,いよいよ死ぬ時でも,”死にとうない”といって,森待者への未練を隠さなかった一休のようでありたい.

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