広島修道大学 1995年 懸賞論文・作文.テーマ”情報化社会と私たち” 論文の部.最優秀賞

情報化社会と私たち
ーネットワークは社会的弱者のためにあるー



要約
パソコン通信やインターネットといったコンピューターネットワークを利用しているのは,健康の面でも経済的にも恵まれた人が多い.しかしコンピューターネットワークの一番大きな特長は,体の障害や経済的な障害を軽くして,個人と社会との結びつきを深めることにある.だから,これから増え続けるお年寄りや障害者といった,社会的に弱い立場にある人々こそが,コンピューターネットワークを活用し,利益を受けられるよう,その仕組みを整えていく必要がある.社会的に恵まれた立場にある人々が,社会的に弱い立場にある人々のために,知識を提供し,機械の購入を手助けし,コンピューターネットワークのサービスを充実させれば,より高い生産性と創造性を持つ社会が生まれる.
 

I. はじめに
        これまでの人類の歴史の上で,時代が進めば進むほど,人々のつながりは深まってきた.それにつれて,一部の人々に独占されていた情報や知識は,より多くの人の間に広がり,豊かな生活を送れる人が増えてきた.
 これからの日本では,不景気が長引いて,個人の収入が減ったり,職を失なったりする人が増える恐れがある.また,様々な病気を持った人々や,障害者,高齢者など,健康面で恵まれない人々の数も増えている.これらの社会的に弱い立場にある人々(この論文では社会的弱者と仮に呼んでおく)を置いてきぼりにした形で,パソコン通信やインターネットといったコンピューターネットワーク(以下ネットワークと略す)が発達すれば,不幸な人々はどんどん増えていくばかりである.私たちは,より豊かな社会を造るために,社会的弱者を含めて,より多くの人々がネットワークを使えるようにしていかなくてはならない.この論文では,最初に,なぜネットワークが社会的弱者にふさわしいか述べる.次に,ネットワークを社会的弱者のものとしていくために,何が問題となるか,その問題点をどうやって解決していけばよいかを述べる.

 II. なぜネットワークは社会的弱者にふさわしいのか
        在宅医療やへき地での遠隔医療への応用を考えれば,もともとネットワークは社会的弱者のための仕組みであることがすぐ理解できる.社会的弱者と外の世界を隔てていた壁が,ネットワークによって取り払われれば,弱者はネットワークを通して社会から恩恵を受けられる.そればかりではない.ネットワークの利用者は相互に働きかけられるから,弱者も社会に役立てるようになる.優れた発想があれば,社会的弱者であっても,ネットワークを使って非常に少ない資金と労力で情報を集め,発信し,事業を興すことすら出来る.ネットワークの世界では,社会的弱者は決してお荷物ではない.
       さらに,社会的弱者の数を考えても,ネットワークを彼らにふさわしいものにしていく必要があることがわかる.例えば,代表的なネットワークであるニフティサーブ,PCーVANといった,最も大きなパソコン通信組織でも,その会員数はそれぞれ100万人に過ぎない.しかもその多くは,年齢が20代から40代で,身体が健康で経済的にも恵まれている人々だ.一方社会的弱者の数はそれよりもはるかに多い.身体障害者(児)だけでも総数で295万人,仮に視覚障害者を除いてもなお230万人余りである(1).65才以上の高齢者に至っては人口の14.5%,1800万人余り,実に日本人の7人に1人の割合である(2).これらの人々を無視してしまっては,ネットワークの健全な発達は望めない.
 
 III. ネットワークを社会的弱者にふさわしい仕組みとするにあたっての問題点と解決策
        第一の問題はコンピューターに対する偏見である.これは,ありふれているけれども,てごわい問題である.コンピューターは社会的に恵まれた人々にもむずかしいから,社会的弱者にはもっとむずかしい,とする考えは,明らかに間違っている.この間違った考えのために,弱者がネットワークへ参加できないでいる.今や視覚障害者でさえ,パソコンを使いこなすというのに.身体障害者のうち8割以上は,食事とトイレ動作が自分で出来る (1).少なくともこの人たちは,パソコンを操作するにあたって,何の差し支えもない.ましてや,単に年をとっているとか,重い内蔵の病気があるとかは,パソコン操作とは何の関係もない障害だ.
 社会的弱者の障害がパソコン操作の障害にならないことを,よりわかりやすくするために,パソコン操作と自動車の運転を比べてみよう.自動車の運転の方が,はるかにむずかしく,体力も必要とするし,社会的な責任も要求される.しかし身体障害者でも高齢者でも運転免許を取れる.これは,自動車の運転がしばしば生活に必要だからだ.自動車の値段はパソコンの10倍以上だが,自動車は全国で6600万台もある(3).パソコンは自動車より操作が単純で,値段が安く,社会的弱者の世界を広げてくれるのだから,社会的弱者がもっと気軽に利用できるようにすべきである.

       ”ネットワークは便利な仕組みだから,放っておいても自然に普及するだろう”という考えでは,ネットワークはいつまでたっても社会的に恵まれた人々に独占されたままだ.ネットワークを社会的弱者にふさわしい仕組みにするためには,社会的に恵まれた人々が,社会的弱者に協力しなければならない.しかし,現実はそうではない.例えば,ネットワークの操作を学ぶ機会を考えてみよう.現在は専門学校や,パソコンメーカーや民間のカルチャー教室が中心だ.講習は平日の昼間の時間帯で,しかも料金がひどく高い.大学などの教育機関内部では,教官はインターネットを無料で使い放題のところも多い.しかし大学の周辺に住む人々は,そんな事実さえ知らされないでいる.このような状況では,社会的弱者はネットワークに加われない.
 これらの問題を解決するにはどうしたらいいだろうか.まずネットワークに関する人材が豊かな組織,例えばネットワーク関連企業や大学などの教育機関が,社会的弱者を対象にして,無料のネットワーク講習会を開くべきである.ネットワークの普及は,企業の利益になるはずだし,公的教育機関は地域社会に貢献する義務がある.米国の大学では,地域住民にネットワークの利用者番号を配布しているところもある.またネットワークに詳しい個人も,お年寄りや家庭の主婦に対して,自分の知識と技術を進んで提供するべきだ.ボランティアグループを作って,”ネットワーク寺子屋”を作れば,”ネットワークおたく”が地域の役に立てる.障害者の教育や生活支援を行なう施設でも,ネットワークに関する教育や職業訓練を積極的に取り入れるべきである.ネットワークの世界では,聴力障害者や,下肢のみが麻痺している脊髄損傷者ならば,自分の障害と関係なく,健常者と対等に活躍できる分野がある.

 ネットワークの普及にとっての第二の問題は機器の普及だ.すでにパソコン本体は10万円台の手頃な値段になったので,値段自体は大きな問題ではない.大切なのは,社会的弱者を助けるお役所が,パソコンをぜいたく品だとか,マニアのための機械だとか考えないことである.ネットワークが普及すれば,労力と人件費が節約されるので,お役所にとっても好都合なはずだ.例えば,ある身体障害者が銀行へ出かけるのにヘルパーが必要な場合でも,ネットワークによるホームバンキングで用が足りればヘルパーはいらなくなる.地域社会でのボランティア組織作りや,医療施設と福祉施設の連絡にもネットワークは役に立つから,事務手続きの能率がよくなる.だから,お役所も,社会的弱者によるパソコン購入を積極的に助けるべきである.
 厚生省はこれまで,日常生活を助ける機器として,ワードプロセッサーや文字放送デコーダーを身体障害者に提供してきた(1).パソコンやモデムの値段はこれらの機器とほぼ同じだから,補助金を出すことは十分可能である.サービスさえ充実すれば,ネットワークは車椅子以上の生活必需品となるのだから,車椅子に補助金を出すのと同じように,パソコンとモデムにも補助金を出すべきである.

        第三の問題は通信速度と料金である.特にインターネットを使用する場合,接続料金がまだまだ高い.既存の電話回線を使って接続する形式だと,料金の値下げに限界がある.高齢者や身体障害者のいる家庭には,ケーブルテレビのような専用回線を整備して,速度の面からも料金の面からも,インターネットを気軽に使えるよう出来れば理想的である.

        第四の問題は,ネットワークが提供するサービスがまだまだ貧弱なことだ.例えばオンラインショッピング一つとっても,デパートの高級品ばかりでは社会的弱者の役には立たない.保健,福祉,医療関連など,社会的弱者にとって重要なサービスを優先して実施すべきだ.また,生活に密着し,地域とのつながりを援助するサービスも重要である.

 サービスの充実のためには規制緩和が必要となる.社会的弱者にとって有益と思われる医療サービスを例にとってみても,電子メールによる処方箋発行や,パソコン通信を利用した詳細な診療情報の提供は,現在の医療法上では不可能となっている.時代の変化に合わないこうした規制をやめないと,ネットワークの特長を生かせない.

IV. 結語
 ネットワークといっても,何も特別なことをやるわけではない.必要な情報を能率よく提供し,人と人との間で,よりよい意思伝達をはかるという,ごく当たり前のことをする道具である.またサービスの充実にしても,社会的弱者だけが利用する特別なものを用意する必要はない.社会的に恵まれた人々がほしがるものを,より利用しやすくすればよいだけだ.なぜなら社会的弱者の一番の願いは,みんなと同じように,より豊かに生活したいということなのだから.
 

参考資料

1. 厚生統計協会.厚生の指標臨時増刊第41巻12号 国民の福祉の動向 .

2. 厚生省人口問題研究所 日本の将来推計人口(平成4年9月推計).

3.  警察庁交通局運転免許課調 運転免許保有者等の資料(1993年12月31日現在).