苦労を掘り起こす作業
診断も治療もすんなり行った患者さんが症例報告になるわけがない。散々苦労した症例こそ、報告する価値がある。
他の医者にも、患者にも、自分のした苦労を繰り返させないために、その苦労を世界中の医者に知ってもらって、自分が得た知恵を共有し、共に成長の喜びを味わう。症例報告の意義はそこにある。こういう喜びは大規模試験では絶対に味わえない。
だから、世にも珍しい症例というのは、報告する価値が無い。なんとなれば、世にも珍しい症例の報告は、単なる物知り自慢に過ぎないから。全然苦労してないんだよ!それに、一生に一度見るか見ないかの症例の報告なんて、誰の役に立つんだい? 知恵を共有する意味がないじゃないか!臨床は蝶の収集とは違うんだ!
じゃあ、何を報告すればいいのかって? 呆れた。だからさあ、苦労した症例を報告しろって言ってるだろうが。あんたみたいに、何でもかんでもよく勉強していて、世にも珍しい病気の数々を知っていて、いつもすんなり診療している人は、苦労していないから、症例報告する必要はないだろうけど。
症例報告の価値があるのは、ありふれた病気である。地球上でどこにでもお目にかかるようなありふれた病気が、教科書に書いてあるような姿ではなく、まさかと思う形で目の前に現れる、医者が苦労するのはそういう時だ。
症例報告はそんな苦労を掘り起こす作業である。苦労をしても、そこから多くを学ぼうとせずに、全て忘却の彼方に追いやって二度と思い出そうとしない人間は、世にも珍しい病気の数々を覚えるだけで、決して成長できない。
自分の診療の苦労を掘り起こし、徹底的に分析し、しゃぶり尽くす作業が、症例報告である。そんな貪欲さを持っている人は、年齢にかかわらず、いつまでも医師として効率的に成長していける。
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