いかがわしい理論

地球温暖化論のことである.”政治的に重要な理論であるほど科学的にはいかがわしい”と,池田清彦教授(山梨大学・生物学)がおっしゃっている(苗字は同じだが,面識はない).当然だろう.いかがわしいのが政治である.その政治を支える理論がまっとうなわけがない.

したがって,地球温暖化とは,科学的にいかがわしいことこの上ない理論ということになる.池田教授は,”ちくま”375号(2002年6月号)の,連載,やぶにらみ科学論の中で,”地球温暖化論のいかがわしさ”と題して,理路整然と指摘している.

1960年代から80年初頭にかけて,マスコミや学者は,しばらくすると大氷河期がやってきて,手をこまねいていると大変なことになると警告していたのである.

まったくその通りで,私もよく覚えている.何しろ,1945年8月14日までは,鬼畜米英,翌日からは総懺悔した一億がギブミーチョコレートと叫んだ国のマスコミや学者の言うことである.何がひっくり返ろうと驚かない.

私は大学院生の頃,根本順吉”氷河期へ向かう地球”(風濤社,1973)をはじめとする地球寒冷化の本を読んでマジ心配したことがあるので,そのことをよく覚えているのだ.その同じ根本順吉が1989年に書いた本のタイトルは”熱くなる地球”(ネスコ)であるという.

私の記憶に間違いがなければ,1973年と89年の間に氷河期がやってきたという事実はないので,この二つの本のタイトルの少なくともいずれかは誤りに違いない.もしかしたら二つとも間違っているのかもしれない.気候が豹変するかどうかは結局よくわからなかったが,学者が豹変することだけはよくわかったのであった.

(中略)

世間は地球温暖化論をあたかも科学的真理であるかのように受容していったが,私には科学ではなく政治だということがよくわかっていたので,勝手にやれと思っていた.人生は短い.アホな理論にかかわっているヒマはない.

まだまだ,面白い話は続くのだが,私も,地球温暖化論に関わっているヒマがないので,この辺で.とにかく,”科学”,”真理”,”正義”の御旗ぐらいいかがわしいものはないということだ.

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