神とあがめられる所以2

ある日の朝,病棟へ行くとアルツハイマー病で入院している85才のKさんが160/分の頻脈発作を起こしていた.

”先生,Kさんが,今日の朝,めまいがするって言うから,脈を測ったら160もあって・・”
”それで,今どうしているの?”
”ご飯は全部食べて,もう治ったって.でも,まだ脈拍は160のまんま”

それでも慌てるわけですよ.このまま放って置いて心不全になったらどうしよう.すぐ心電図とって,上室性頻拍だったら,頚動脈洞マッサージ,バルサルバ,氷水を飲ませる・・・それでも止まらなかったらどうしよう.アデホスの静注とワソランの静注はどっちを優先するのだっけ・・・静注の速度はどうしよう・・・あんまり急速に入れると心停止の危険もあるんじゃなかったっけ.

心電図とったはいいけど,上室性頻拍か心房粗動か区別つかないよう.基線のゆれが少ないから上室性頻拍かなあ・・そもそも上室性頻拍と心房粗動による頻拍で,治療の仕方は違うのかな?とっさの診断と処置に自信がない.大急ぎで近所で開業している循環器内科の友達(大学の同級生)に電話をかけたところ,落ち着いた声で指示をもらった.ああよかった.

教科書的な知識を持ち合わせてはいても,十分な経験のある病気でなければ,個々の患者さんにとって適切な指示はできない.腕は医学生同然のレベルに落ちる.そんな状況では患者と同じ心境になる.無知,自信のなさが不安を増大させ,しっかりと対応できる専門家にすがるのである.

そんな時,何よりもありがたいのは,自信に満ちて落ち着いた態度と優しい笑顔,”大丈夫ですよ”の一言.これが揃うと,医者は神様に見える.この自信,落ち着き,笑顔と,それらを生み出した苦悩と,責任と,日々の勉強に対して,患者は信頼を寄せ,お金を払ってくれる.

10年ほど前,やはり大学の同級生(小児科)のおかあさんが,たまたま旅行先で,くも膜下出血で私が当直をしていた病院の救急外来に,本当に偶然に,その同級生とともに来た.激しい頭痛を訴える品の良い女性に付き添ってきた彼を認めて,奇遇だねと言いつつ,私のした仕事と言えば,CTを眺めた後,脳神経外科医に電話をかけただけだった.おかあさんは術後経過良好で,めでたく退院された.

後で彼は,”救急外来で池田に会ったあの時は,地獄で仏だったよ”と言ってくれた.光栄には思ったが,自分のした仕事の内容に比べると,随分大げさなお世辞を言うなと,当時は思っただけだったが,お世辞ではなく,率直な感想だったのだということが,このごろようやくわかってきた.見事に手術をやり遂げた脳外科はもちろん殊勲甲だが,その脳外科を信頼して,病歴を取るかとらないかのうちに,にこっと笑いながら”ここに来てもらえれば安心だよ”と,自分では何もできないのに,さも院長みたいな大口をたたいただけでも,幾ばくかの点数がもらえるのだ.

医者に対する批判に敏感であることはもちろん大事だが,”お医者様は神様です”と思ってもらえる状況を増やしていくように心がけることも,同じくらい大切なことだと思うようになったのは,やはり私も年をとったからだろうか.

メディカル二条河原へ戻る