高木俊治先生,gieさん,美奈さん,James
McCulloch,Mummy Gejo,かずちゃん
gieさんが通った高校は,今日は校門付近に私服が張り込んでいるようだから気を付けろと,教師が生徒に助言してくれるような所だったそうな.そんな高校で,ある日教師から,(建築とは何の関係もない)クラブの部室を改築するから,勉強だと思って図面を引いてみる気のある者はいるかと問われて,では自分がやってやろうとgieさんが手を挙げた.gieさんは建築学の本をかじって自力で図面を書き上げたあと,棟梁に教えられて建築にも参加して,その面白さにやみつきになって,建築家を志したそうな.
不惑になってから家造りに夢中になると,請負業者のブラックリストに載る不良顧客になるだけだが,17才で家造りの面白さがわかると立派な建築家が出来上がるわけだから,後生畏るべし.
建物を作りは,単なる箱物作りではない.人間の生活の場,人間と環境のインターフェースを考える科学である.この科学の面白さに気づいて,建築の道を志す若人が一人でも多くなるようにというのがgieさんのメッセージである.
私を知る人は,私を評して,才知が服を着て歩いているようだと言うが,このBSE症例は一見,淑女が服を着て(もちろん脱いでいた方が望ましいのだが)歩いているようである.ただし,ひとたびこの淑女がバファローズの試合に臨むと,”いてまえー”と本症特有の雄叫びを上げ,ミナミの飲み屋でラジオ(テレビでの中継はめったにない)にかじりついているおっちゃんと,よう区別がでけへんようになる.
BSEの中核症状は,”日本選手権での4勝”という妄想である.(カール・ヤスパースによる”妄想”の定義の問題点については,こんなところを読んでいるあなたはよく知っているだろう)
始末の悪いことに,このBSE症例がホームページなんぞを作って病原体をばらまこうとしている.物好きな人は見に行くがいい.今シーズンのこれまでの成績を見る限りでは,感染者が急激に増加するとは思われない.
(余分な注釈)ああ言えばこう言う,あまのじゃく,へそ曲がり,少数派;これらの賛辞は素直に受けなければならないということです.
デビー;”ハンスの机を新しく置く余裕がもうないわ”
ジム;”生活空間の危機だな”(The eminent crisis of the room for living)
私;”Lebensraumって言いたいんだろう”(You mean "Der Lebensraum")
ジム;”Thank you very much, Massie”
デビーはきょとんとしていたが,彼は,こいつ知ってやがるなと言わんばかりにニヤッと笑った.
Lebensraum.現代史を学ぶ者ならば誰でも知っていなければならない単語だが,神経科学の研究者にとってはどうでもいい雑学に過ぎない.この第三帝国の有名なスローガンを習ったのは,私が17歳の時,墨田区にある,決して有名でない都立高校の教室でだった.地理を教えてくれた恩師は地理とともに,必ずその地域の歴史を教えてくれたからだ.
”ワーテルローの勝利はイートンの校庭で勝ち取られたものだ”と言った奴がいたが,グラスゴーでのこんな日英対決も,30年近く前から準備されていたのである.
Mummyはひどく早熟だった.6才で「慕情」を観て感動していた.また,Mummyの記憶力は抜群だ.どのくらい抜群かというと,「魔法使いサリー」の再放送で,その日のタイトルを見ただけで内容がわかってしまう.
Mummyはスコットランドを愛する.だからスコットランドはアバディーンのひーちゃんとは大の仲良しだ.でも,まあちゃんのページに来たのはひーちゃんとは関係なく,全く偶然だった.
スコットランドの中でも特にゲール語を話す人々の間で,じゃんけんがどう伝承されているかは解決困難な問題だ.この問題に答えを出せる人間がいるとすれば,Mummyしかいないだろう.
その鍵は,彼女の抜群の記憶力と,幼いころから「ベン・ネヴィスに登る、グレン・コーでただぼんやりとスケッチしたりして過ごす」ことを夢みていたという執念である.ちょうど,幼い頃から,”僕がヒエログリフを解読してみせます”と言って,それを実現したシュリーマンのように.
その1
かずちゃん ”経営者で功成り遂げた人たちは,よく,決断することが大切だと言います”
私 ”勝てば官軍というわけですね.負けた賊軍の決断は決して表面には出てこない”
かずちゃん ”そうです.さらに忘れては成らないのは,決断するというのは,考えるのを止めるということなのです.決断するということは,考えることを止めるリスクを背負うことです”
その2
私 ”教祖様というのは,予言がはずれても皆平然としていますね.”
かずちゃん”平然としていられるのを教祖様というのです.そうでないと教祖様は勤まりません”