86-90年はNEC98,90-92年はNEC98+マック併用,ここ5年間はマックのみというのが,私のパソコン歴なのだが,自分が使いやすければどんな機械でも構わないという寛容さを密かに自慢していたのだった.しかし,その寛容さも現実の前にもろくも崩れ去った.
ニフティの懸賞論文に最下位入選して,FMV/BIBLOなんかもらってしまったのが間違いの元だった.お得意の寛容さとやらを発揮して,ウィンドウズマシンも使えるようになってやろうなんて助平心を起こしてしまったのだ.(この機械の保証書の販売店が空欄のままなんですよ.ニフティさん.何回催促しても,検討中とのことで梨のつぶて.そりゃ貰い物だから,販売店なんてないのかもしれないけれど,貰い物だから保証もないなんて,あまりにもそりゃ寂しいじゃありませんか)
人をあざわらうかのような動きをするポインティングデバイスや,総武線の満員電車での体の動きを思い出させるキータッチは,机の上ではマウスとキーボードを外づけすることで回避した.300語までしか一括登録できない,まるきり融通の利かないMS-IME97とやらにも,マックのATOK8のパーソナル辞書(こいつは1600語ほどあって,祖先はMATUTAKE以来の由緒ある辞書なんだ)を細切れにして移植した.形成外科医の気持ちがよくわかる貴重な体験だった.
問題は次だった.17インチの外づけモニターで,効率よく仕事をしようとして,本体とD-SUB15ピンケーブルでつないだが,これが全く映らない.コントロールパネルのシステムディバイスでモニターの選択を工夫したり,BIOSの設定をチェックしても問題ない.さんざん悩んでもどうにもならず,秋葉原のど真ん中にある富士通のサービスセンターに持っていった.
今をときめくDOS/Vマシンのトップメーカー,サービスセンターもさぞかし混雑と思いきや,客は一人二人.待合い札を取るまでもなく,窓口へ.外部モニターを接続しても映らないとの私の言葉を受けて,店員さんはそそくさと店の隅にあるモニターの前に行って接続してチェック.待つことしばし.
”やはり映りませんね”
”どこが悪いんでしょうか.やっぱりコネクタボックス(注;本体と周辺機器の間に介在するインターフェースを一つにまとめた細長い箱.FMV/BIBLO本体に着脱できる)が悪いんでしょうか”
”その可能性が一番大きいですね”
”BIOSとかWINDOWS95のコントロールパネルの設定の問題じゃなくて”
”ええ,ハードのレベルの問題です”
”あの,修理にはどれくらい”
”できましたらこちらからご連絡します”
”時間の単位はどれくらいでしょう.数時間とか,何日とか”
”2週間ほどお時間がいただければ”
”・・・・・”
全身に脱力を感じて店を出た.2週間という時間が恥ずかしくもなく口から出るというのは,自分の会社の機械が,お客にとって毎日欠かさず使われてるって思ってない証拠だろう.その店員さん一人を個人的に責める気にはなれなかった.会社全体がそういう姿勢だから,たかが周辺機器のインターフェースの接続不良の修理に2週間,という言葉が,秋葉原のサービスセンターという最前線の店員の口からすんなり出てくるのだ.
アップルのサービスセンターで修理に2週間かかると言ったら,そこは確実に焼き討ちに遭う.少なくとも,私がこれまで3回詣でた秋葉原の日本NCRでは,いずれの場合も目の前で開腹して手術してくれた.手こずった場合でも,午前中に持ち込んで,おやつの時間の前には直った愛機と対面できた.そんなサービスやってるからアップルは赤字になるんだけどね.
やたらとアップルの肩を持ち,ウィンテルを敵視する輩を見ると,たかがパソコンで騒ぎなさんなと常々思っていたのだが,このていたらくじゃ富士通の機械を使う気にはならんよ.これじゃパソコンは売れなくなるはずだよ.