ジャーナリストは死んでない。元々いなかっただけ。
公開情報に基づいて記事を書く意義
軍事情報分析でさえ公開情報が基本なのです。況んやジャーナリストが書く記事に於いてをや。

 資料調査会の会長だった関野英夫さんは、内閣調査室のメンバーです。「何をしているんですか」と関野さんに聞いたことがありますが、基本的に外国の雑誌を読んでいるだけだよ、という返事でした。一般公開されている雑誌や新聞情報をじっと眺め、ひっかかるものを整理して分析対処するのが、平時における諜報活動のベースです。(中略)
大木 なるほど、林さんも浅井さんも、「スパイに秘密文書を持ってこさせるようなことはまずないんだ。公開情報を分析し、そこから全体像あるいは細部を詰めていくのだ」、と言っていたので平仄が合います。みなさん異口同音に、情報とは「砂の中から砂金を拾うようなこと」だと指摘していました。おそらく、ロシア課の中で標語のように唱えられていたのではないでしょうか。
 無茶なことをしても、たいした情報は得られない。公開情報を丁寧にチェックすることで、本当の流れを掴むことが大事です
第一章 作戦系と情報系 戸一成 大木毅 帝国軍人 角川新書

ではなぜ公開情報が重要なのか?それは,いつでもどこでも誰もが検証できる公開資料を使えば,下記のような利点を踏まえて,いつでもどこでも誰もが物書きになれるからです。
●誤りがないように確認する緊張感を持って執筆できる。
●公開資料に基づく記事を書くことによって,誤りがあればどうぞ指摘願いますという姿勢を示せば,それだけで信用してもらえる。
●個人のバイアス,思惑,利益相反にまみれた意見に影響されるリスクを回避できる。
●その結果,記事の品質と論理の頑健性が担保される。

新コロバブルでジャーナリストが姿を消してしまったように見えますが,実は違います。本来の意味でのジャーナリストなんて元々存在しなかったのです。これだけ公開資料が潤沢な状況下で物が書けない人間をジャーナリストとは呼びません。新コロバブル下ではメディアがマスゴミの名を欲しいままに自らの墓穴をより深く,より大きく掘り続けてきました。その結果,有能な人材ほど巨大な蟻地獄と化したメディア業界を回避するようになりました。新コロバブルがはじけても,相も変わらず「専門家の意見」を垂れ流す紙屑が生み出されるだけで,今後も本来の意味でのジャーナリストが生まれることはない。そう私が断言するのは以上のような理由によります。
(以上 2022/1/10にアップロード)

以下追記(2022/1/23)
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茶番にしか思えないコロナ騒動の中で得られたもの 縁もゆかりもない唐津に移住(中川淳一郎 デイリー新潮 2022年01月22日)から抜粋
いつまでこのバカコロナ騒動、続けるんですかね。完全に政治的ツールになっている。1月7日、沖縄・山口・広島に「まん延防止等重点措置」が出ましたが、1月6日のデータを見ると沖縄の入院者は160人で、重症者は0人です。問題ねーだろうよ! オミクロン株、実はすごく優れた天然ワクチンなんじゃねーの?と思いつつ、9月に選挙がある玉城デニー知事の「ワシは先手先手で県民の命を守る行動をした!」という政治的PR意図を感じてしまいます。当然岸田文雄総理の「鎖国令」も同じようなものです。
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「ライター」中川淳一郎さんが「ジャーナリスト」という言葉の背景にある「こと」(例えば印象とか概念とかいった目に見えない事柄)を嫌っているからであろうことは,彼の書いた記事を読めばすぐにわかります。それでもここで引用させてもらった理由は,彼がこれまで新型コロナについて書いてきた記事をもっと早く知っていれば,私が書く分量が半分以下で済んだであろうと思うからです。

専門家だからこそ愚か者になれた
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