これで医者の本音がわかります
−誰もそれが子どものためになるとは思っていない−
このアンケート結果を見て(クリックして拡大)、
あなた自身はどう思いますか?まずはそこを明確にしておきましょう。そうした上で(実際にそうするかどうかは別として)、お医者様にこの表を見てもらったと仮定します。その時のお医者様の態度が幾通りかに分かれたとします。言葉は一切関係ありません。その時に一瞬、どんな表情をするかを集中して観察するようにしてください。言葉ではいくらでも嘘をつけますが、first touchでの一瞬の表情では嘘をつけません。
A. さっと顔色が変わって、一体どこからこんなものを手に入れてきたのだという表情をあなたに向ける。
B. 純粋に驚く。
C. にやっと笑う。
そうしてから初めて次に続く行動・言葉について考えてみます。
A. この表に対する不信感・反感を隠さない。これみよがしにゴミ箱に投げ捨てる。あるいは棄てずに、こんなデマちらしをどこで手に入れたのか/まさかお前はこんなデマをばらまいていないだろうなとばかりにあなたを詰問する。
B. 不思議そうに 「ねえねえ、これどうしたの?」と聞かれたら、「ネットにいくらでも転がってますけど、何か?」と返し、その後の反応を観察する。
C. 「まあ、みんな考えていることは同じだな」と言ってあなたにあっさりと表を返す。
おわかりでしょう。この表の出所、真偽の程など一切関係なく、この表を見せただけで、そのお医者様の本音を知ることができるのです。
高松:「えっ、でも私が知りたいのはこの表が本当かどうかなんですけれど・・・・」
池田:「ですから、みんな本音を言っていますよね」
高松:「はいそうですけど・・・・・ A先生はデマだって言うし、B先生は何処の誰が作ったのか、そもそもそんなアンケート自体が存在するのかどうかもわからないって言うし、C先生も否定はしないけれど本物だとも言ってくれないし・・・・」
池田:「だからその本音を総合して考えるのです。三人の先生が寄って文殊の知恵を出してくれたものを無駄にしないように。出発点は正直に「わからない」と中立的な意見を言ってくれたB先生です。そのB先生の「わからない」という本音とA先生、C先生のそれぞれの本音を比べてみる」
高松:「・・・・・」
池田:「わかりやすく可能性の数字で考えてみましょう。B先生の本音は「わからない」。つまり本物/偽物の可能性が50%ずつ。このB先生の本音と、A先生、C先生のそれぞれの本音を検討する=3人寄った文殊の知恵を採用できる。でもA先生あるいはC先生の意見を最初に真実として採用してしまったら、どうなりますか?」
高松:「・・・・・後の二人の先生の意見は棄てなくちゃならない・・・・文殊の知恵が出てこない・・・でしょうか?」
池田:「Bingo!ピンポーン!ならば次にどうします?」
高松:「・・・・・」
池田:「先ほどの可能性の数字で考えるとA先生とC先生では本物/偽物の可能性がそれぞれどのくらいになると思いますか?」
高松:「うーん、A先生はもしかしたら本物かもしれないと心配しているみたいだから本物10%/偽物90%ぐらいでしょうか。C先生は何も訊かないで表を返してくれたから、もしかしたら、本物でも偽物でも、そんなことはどうでもいいと思っているのかもしれないんですけど・・・・敢えて数字で言えば・・・・本物100%/偽物0%ぐらいの自信満々みたいです」
池田:「だとすると、3人総合した文殊の知恵の結論はどうなりますか?」
高松:「・・・えーっと・・・可能性をA+B+Cで単純に足し会わせると本物160%÷3=53%、偽物140%÷3=47%で本物?・・・」
池田:「高松さん、あんまり自信なさそうですね」
高松:「はい、正直53%と47%の差で本物か偽物か決めるなんて意味ないんじゃないかと・・・」
池田:「Bingo!ピンポーン!ならば次にどうします?」
高松:「・・・・・」
池田:「高松さん、今、”53%と47%の差で本物か偽物か決めるなんて意味ないんじゃないか”って言いましたよね?」
高松:「はい・・・でもそれが・・・」
池田:「”53%と47%の差で本物か偽物か決める” なあんてとてもじゃないけど、そんな自信はなかった。自信がないってことは自分の考えが当たっているかどうかの可能性は50%未満だということです。そこでA先生とC先生の自信のほどを比べてみましょう。C先生は自信満々だったとのことですが、それに比べてA先生はどうですか?」
高松:「自信満々とは言えません。でも数字ではどのくらいかどうか・・・」
池田:「B先生は五分五分としましたよね。それと比べたらどうですか?」
高松:「だとしても、やっぱり本物10%/偽物90%ぐらいになってしまうでしょうか?」
池田:「どうしてA先生は本物0%/偽物100%と言えないのでしょうかね?」
高松:「それはやっぱり、もしかしたら本物じゃないかと疑っていろいろ詮索してくるからです。おまけに何の責任もない私に向かって「デマをばらまくな」などと失敬なことを言いやがって、あの野郎。ただじゃおかねえからな」
池田:「まあまあ、落ち着いて(^^;)。A先生が高松さんを怒らせてしまったように、ここでも数字よりも態度が問題になるわけです。C先生は自信満々。表の出所がどこかとか、細かい数字がどうだとか、そんなこと一切無頓着。さらに高松さんがその表をどう使おうが棄てようが一切お構いなし。それに比べてA先生は端からデマと決めつけているにもかかわらず、出所はどこか詮索するだけでは気が収まらず、さらには高松さんの行動にも干渉してくる。なぜそんなことをするのでしょうか?
高松:「んなこたぁ、わかりきってるじゃねぇか。あいつがパワハラ・セクハラ野郎だからだろ」
池田:「まあまあ、落ち着いて(^^;)。A先生とC先生の子どもへの接種に対する態度を思い出してください」
高松:「A先生は子どもへの接種にもとても熱心でいらっしゃいます。5-11歳への接種は高齢者への感染を防ぐため、また子ども自身の重症化リスクを低減するためとおっしゃっています。C先生は・・・子どもへの接種はまるきりA先生にお任せになっているようですが・・」
池田:「表を見てのA先生の行動は、自分が熱心に推進しているはずの子どもへの接種に実は自信がないことを示しています。本当に接種が子どものためになっていると信じていれば、高松さんを怒らせるほど見苦しく狼狽するわけがありません。B先生は迷っている。一体何が正しいのかわからない。子どもへの接種が子どものためになるかどうか、A先生と同じように自信が持てない。一方、C先生は子どもへの接種に一切関わらない自分の診療態度に自信満々。子どもへの接種に関わらない、少なくとも自分は子どもに注射を打たない。そうはっきり決めている。だからこの表を見ても全く動揺しなかった。態度こそ三人三様ですが、誰一人として子どもへの接種が子どものためになると自信を持って行動していない。つまりワクチンを信用していない。表の真偽に全く関係なく、そういう結論になりませんか?」
→もう医者コンプレックスは棄てなさい
→分科会によるニュルンベルク綱領違反
→新コロバブルの物語
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