説明責任を果たすための道具:EBM
あなたは,来る日も来る日も,説明をしているに違いない.どのような道筋を経て,どのような検査結果を元に,その診断にたどり着いたのか.なぜこの
薬を飲まなくてはいけないのか.副作用にはどんなものがあって,それを未然に防ぐためには何に注意したらいいのか.なぜその処置を今日しないといけないの
か.明日でもいいのか,一ヵ月後ではなぜいけないのか.
さて,こんなところを読んでいるあなたのことだから,その説明の内容は,決して無責任なものではないだろう.つまりあなたは,来る日も来る日も,繰 り返し繰り返し,説明責任を果たしていることになる.
どうして頭部CTをやるのですか?どうして,降圧利尿剤ではなくて,アンギオテンシン受容体拮抗薬を飲まなければならないのですか?どうしてBCG をやらなくていいのですか?
こういった質問に答えるために,あなたはどこからどうやって回答の根拠を探してくるのだろうか.どんな回答にも根拠を要求されるし,その回答は,誰 が聞いても疑問を持たないような透明性も要求される.(透明性とは,世の中で一番騙しにくい存在である自分に対する説明責任と言い換えてもいいだろう)
ここまで来たら,日々の診療で説明責任を果たすためには根拠が必要であり,その根拠を与えてくれるのがEBMであることがわかる.EBMとは,今を 去ること10年前に忽然と出現したものではない.医学が生まれた日からEBMがあった.医療を行う誰でもが,来る日も来る日も使っている道具だから,それ と意識しなかっただけだ.
権威やパターナリズムが脅かされることに危機感を抱く人々
一方,説明無責任や不透明性が横行する現場では,EBMという道具を使わずに,権威とかパターナリズムといった道具でごまかしていた.しかし,だん
だんとごまかしが利かなくなり,どんな場合でも,説明責任を果たせとはっきり要求されるようになったので,今までずっと使っていた普遍的な道具に,改めて
名前を付けたに過ぎない.名前がついたおかげで,それまで,説明責任を十分に果たして来なかった人たちは,あたかも新しい存在のように誤解し(あるいは恣
意的に曲解し),誤用したり,攻撃したりした.
権威やパターナリズムが厄介物として意識されたことと,それまで名前がなかった道具にEBMという名前がついたこととの関係は,真空の概念が生まれ てはじめて空気が明確に意識された経緯に喩えられる.
あなたは,患者さんや家族への説明責任はもちろんのこと,コメディカルスタッフ,同僚,後輩,上司,研修医,学生に対してもしょっちゅう説明責任を 果たさなくてはならないが,実は教育の本質がそこにある.現場で必要な知識・技術は,その現場で教えるのが最も効果的だが,その現場で,自分が考えや,行 動の説明責任を果たすことがそのまま教育になる.
だから,EBMは教育に欠かせない道具なのだ.ちなみに、この、”教育”とは、若い人が学ぶだけではない。学ぶ必要性は経験年数とは関係ない。特に 教育が必要なのは、馬齢を重ねれば、自分は教育を受ける必要がないと思っている連中だ。
参考
森 臨太郎 【英国医療事情 連載第5回】英国医師にも上下関係がある
(日経BP MedWaveより 2005.10.21 )
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専門医制度が厳しいためか、一般的に日本の医師に比べると英国の医師はよく勉強しているし、知識も多い。EBM(根拠に基づく医療)という考え方が試験や
日常診療の中でも問われるということもあって、かなり年上の医師たちでも、現在までの臨床研究についての知識や正しい論文の読み方に精通している。
実はこのEBM、上に掲げた上下関係を打破するための道具でもある。EBMという言葉が生まれて10年以上経つが、さすがにEBMを引っ張ってきた国の
一つ、その考え方はかなり浸透しているため、下の医師からEBMを武器に治療方針はこうあるべきではないか、と言われ、それが正しいと思われたら、上の医
師も受け入れざるを得ない。下克上の道具なのである。また、上位の医師たちも必死で勉強する羽目になる。
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