他人の過去などどうでもよい

他人の過去などどうでもよい.もちろん他人の現在や他人の未来もどうでもよい.自分の過去・現在・未来を考えるだけで精一杯だ.
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なぜか怠らぬ日課がある.午後の三十分ばかり,必ず自著を読み返す.短編集の中の一篇,長編ならばアトランダムに開いた箇所からである.
小説は数を書けば上手くなるというものではない.デビューが遅かったせいで,そのことだけは承知していた.つまり,いかに努力を重ねようと,最もよいものはすでに書いてしまっているのかもしれないのである.
その恐怖から免れるために,自著を読み返す.今の自分には書けない一行もあれば,今ならこう書くと思う箇所もある.ただし訂正はしない.物を作り続ける限り,過去と現在と未来の自分は別人格だと思うからである.
現在の自分は,未来の自分に恥じぬ仕事をしなければならず,またそう心得て仕事をしていた過去の自分に,敬意を持たねばならない.
(「浅田次郎 つばさよつばさ 第168回 作家の肖像」 SKY WARD 2017年8月号 より)
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