重症心身障害者・精神障害者の臨床ノート

内科診療の中でも最重度精神遅滞や,後天性の精神障害,痴呆を持った人の診療の難しさは特別なものです.それは,最重度の知的障害を例にあげると次のような理由があるからです.

1.本人から病歴がとれない:物言えず,またこちらの言うことも全く理解してもらえない.頭が痛いのか,腹が痛いのかわからない.受診の主訴というと,”いつもと様子が違う”,”何となく元気がない”,”食欲がない”といった,極めて漠然とした訴えになります.知能が保たれている精神障害者でも病歴の信頼性,診察や検査への協力,向精神薬の影響といった要素のため,診療はしばしば困難です.

2.診察,検査に協力が得にくい:そもそも診察室に連れてくるのが一苦労.胸に聴診器を当てても,いつも声を出していて黙っていてくれない.腹部所見をとろうと思っても,まずベッドに横になってくれない.採血など試みようものなら,3人がかりで押さえつける必要がある.MRIは全麻をかけながらでないとできない.内視鏡はなんぞ夢のまた夢.

3.重度の知的障害の特有の病態:自傷,他害,異物を食べる,あるいは鼻や耳に詰め込むといった知的障害特有の行動異常に伴う疾病. また,身体的にも先天性の疾患,内臓奇形などの合併症の頻度が高いことも問題です.

私は1993年ー99年9月まで重症心身障害者施設に勤務し,それ以後も,重度知的障害者と精神疾患.高度痴呆の身体合併症の診断に携わっています.それまで内科医として,病歴と身体所見を重視して臨床経験を積んできた身にとって,上記のような診療は手足をもがれた思いでした.今でも,大変な困難を感じながら毎日診療しています.同じ様な患者さんに接する方々の参考になればと思い,私のこれまでの診療経験を綴っていこうと思います.

  
病歴聴取

本人から,言葉として訴えが聞かれないだけに,いつもそばで看ている職員(看護師,指導員)から話を聞くことになる.とくに,彼らが,”いつもと様子が違う”,”元気がない”,”食欲がない”といった,非特異的な状態変化ゆえに受診時は要注意である.そんなあいまいな訴えで来るなと追い返せば,後で手痛いしっぺ返しを食らう.個人的な経験では,これらの非特異的な訴えの背後に,治療を要する基礎疾患がある率は8割以上ある.たとえその時に原因が見つからなくても,状態の変化があれば,いつでも遠慮せずに受診するように,職員に伝えておくことが大切である.
命のやりとり,特に初診は一番危険性の高い機会.コミュニケーションの不足は致命的になる.言語だけに頼ってはならない.あらゆる手段を使って,コミュニケーション不足から来る危険性を排除する努力を怠ってはならない.

physical contact eye contact.声にならぬ声を聴く.こういった,非言語性コミュニケーションの大切さは重症心身障害者達から習った.視診,触診の大切さも,同じように 彼が教えてくれた.少ない病歴情報から筋道立てて推測する大切さも彼らが教えてくれた.

所見がとれない,CTがない.採血一つでプロレス騒ぎ.だから検査一つするにせよ,その価値を充分吟味して命令を出さなくてはならなかった.そういう場所で医者としてやっていくことを彼らは教えてくれた.


体重減少
体重減少は,重度精神遅滞の診療に携わる医者をしばしば悩ませる.実際体重減少の頻度は多い.その一因として,摂食のむらがもともとある上に,いわゆる動く重心児(者)は,一日中動き回る結果,消費カロリーが多い.その結果,体重減少をきたす例が多いと思われる.しかし,体重減少となれば,悪性腫瘍をはじめとする重篤な疾患を除外しなくてはならない.ところが,ほとんどの重度精神遅滞者の場合,種々の検査への協力が得られない.そこで,わかる範囲での病歴,身体所見と,単純胸部レントゲン検査と,採血,検尿といった検査結果だけで判断しなくてはならない.その点では下記の論文が参考になるだろう.

Unintentional weight loss: diagnosis and prognosis. The first pospective follow-up study from a secondary referral centre. J Int Med 2001;249:41-6.

市中の診療所から紹介された2次紹介病院からの報告である. 18才以上の158例について,平均追跡期間は22ヶ月.第一段階では,病歴,身体所見,一般臨床検査,胸のレントゲン,心電図,腹部エコー,甲状腺機能,便潜血を施行した.これらの検査で診断が確定しなかった場合は,第一段階の検査結果を参考にして,上下消化管の内視鏡と,吸収不良症候群の診断を主目的とした消化管の機能検査を行なった.その結果,132例(84%)で原因が判明したが,残りの26例(16%)では当初原因がわからなかった.

158例中,悪性疾患以外の身体疾患によるものが半数,悪性疾患が4分の一,1割が精神疾患によるものだった.当初原因不明だった26例のうち,追跡期間中に原因が判明したのは7例で,そのうち,甲状腺機能亢進症,糖尿病,うつ病が各2例,故意の体重減少が1例だった.


疥癬
無酸素性脳症でもう,3年近くも植物状態が続いている72歳の男性です.最近2−3ヶ月ほど足背の落屑がひどくなりました.季節柄,皮膚の乾燥によるのかなとも思いましたが,念のため落屑を取って白癬菌を鏡検しましたが,陰性.外用薬は全く使わずに経過を見ていましたが,皮疹,落屑はどんどんひどくなったので,皮疹をデジカメで撮って友人の皮膚科医に送ったところ,皮脂欠乏性湿疹を普通は考えるが,足底の病変が特に気になる.一部疥癬を疑う所見があるとのこと.

当院は皮膚科非常勤医師もなく,かといって,植物状態の患者さんをストレッチャーに乗せて車でも30分近くもかかる外部の病院の外来で待ってもらうのもためらわれました.一方で,適当に外用薬を処方してごまかしきれる皮疹でないことは私でもわかりました.

では家内工業で何とかしてやろうということで,教科書通りに,眼科用の小さな鋏で,特に足底の角化性病変を重点的にを採取し,水酸化カリウムで角質を溶かして鏡検することを繰り返し,執念でヒゼンダニを見つけたのです.臨床研究部生化学室長による疥癬の診断は,寝たきりの患者さんの外部受診に伴う職員,家族の労力と時間の負担を大幅に省いたばかりではなく,疥癬の早期診断による被害拡大防止,診断ノウハウの蓄積と今後の診断への応用の道を開きました.限られた人員による病院サービスの充実も実証できたわけです.

普通の企業なら社長表彰+ボーナス100万円なのにな.老人保健施設や,精神病院,重心病棟に勤務する方々に特に注意を促したいのは,疥癬はどこにでも生じうる病気だということです.特にステロイド外用剤を使っていなくても,免疫不全でなくても,どこにでも起こるのです.

参考文献
大滝 倫子,関 なおみ,牧上 久仁子.疥癬はこわくない.医学書院 2002
大滝倫子 疥癬の診断・治療・対策 日本医事新報 No.3994 (2000年11月11日号) p8-p14


消化性潰瘍
重度精神薄弱があるからといってストレスを感じないことはありません.いや,入所施設ではむしろ集団生活からのストレスが強いといえるでしょう.ですから,私の施設でも胃十二指腸潰瘍の診断で投薬を受けているのは,360人中常に10人以上います.しかし,胃十二指腸潰瘍の診断と治療にあたって,次のような問題があります.

1.診断のむずかしさ:自覚症状がとらえにくい.痛みや食欲不振を訴えられない.また検査で協力が得られないから内視鏡はもちろん,胃透視さえできない.

2.抗潰瘍薬中止の目安がわからない.自覚症状改善がはっきりしない.

3.潰瘍再発をとらえにくい.いきなり大吐血で再発するようなこともある.

以上のような理由から,嘔吐,貧血,体重減少といった非特異的症状や所見から潰瘍を疑って,内視鏡もせずに試みにH2ブロッカーを使ってみるとい う,はなはだ心許ない治療的診断にならざるを得ないのです.

症例呈示
1.28歳男性(YT).自分の口に指を突っ込んで吐くことを繰り返した.食欲は旺盛で,吐血,貧血,タール便などはなかった.重度の知的障害に伴う行動傷害を疑われマイナートランキライザーを投与されていたが症状は改善せず,一年間で体重が10kg減少したため,消化性潰瘍の治療的診断としてシメチジンを投与したところ嘔吐が消失し,体重も回復した.

2.ダウン症候群の男性(HS).45歳の時にアスピリン服用後タール便があったため,ラニチジンを服用した.その後無症状だったためラニチジンは3年間服用たのち中止した.中止後もとくに症状はなかったが,ラニチジン中止して2年後,特に誘因なく(アスピリン,非ステロイド系消炎剤は服用していなかった)突然大吐血したため緊急手術となった.

はじめにもどる 


胃食道逆流と食道裂孔ヘルニアと貧血

胃食道逆流は重度精神遅滞者に非常に頻度が多い病態である.その原因の一つに食道裂孔ヘルニア(写真は胃から食道へのバリウムの逆流を示す)がある.しばしば逆流性食道炎を起こし,そこからの出血で,貧血が起こる.タール便をきたして,消化性潰瘍と診断されることもある.重度精神遅滞者で上部消化管出血を疑ったら,その原因として,食道裂孔ヘルニアも念頭におくべきである.

バルプロ酸長期服用者における嘔吐
一方,胃食道逆流に薬物が関与している可能性も常に考えておくべきである.抗コリン薬はその代表だが,個人的には,バルプロ酸がしばしば嘔吐を起こしているのではないかという印象を持っている.というのは,繰り返す嘔吐に悩んでいた症例で,てんかん発作のコントロールが良好なので試みにバルプロ酸を減量ないし中止できた症例で嘔吐がぴたりと止まった例を2例経験しているからだ.バルプロ酸による消化器の副作用は肝障害と膵炎が有名だが,これらの症例ではいずれもなく,かつ長期間バルプロ酸を服用していた例だった.嘔吐も,常に起こっているわけではなく,年に数回,原因不明の反復性の嘔吐という形で出てくるからバルプロ酸が原因とはなかなか気づかない.バルプロ酸長期服用者における嘔吐を論じた論文に下記がある.
Marks WA, Morris MP, Bodensteiner JB, Grunow JE, Bobele GB, Hille MR, Tuggle D. Gastritis with valproate therapy. Arch Neurol. 1988 Aug;45(8):903-5.


中耳炎と,胃食道逆流

中耳炎と,胃食道逆流とは,また奇妙な組み合わせと思われるかもしれないが,胃内容の逆流が咽頭まで上がってくれば,当然eustachian tubeを介して中耳にまで胃内容が逆流する.Taskerらは,小児の中耳炎患者で浸出液中のペプシン・ペプシノーゲン濃度・活性を測定したところ,8割以上の症例で,浸出液中の濃度・活性が,血清よりも高かったことから,中耳炎の原因として,食道・胃逆流現象が重要であることを証明した.

Andrea Tasker and others. Reflux of gastric juice and glue ear in children. Lancet 2002;359:493.

確かに,私の個人的な経験だが,中耳炎を繰り返す患者は,決まって胃食道逆流を繰り返していた.

はじめにもどる 


呑気症?イレウス?
重度知的障害者施設には,「呑気症」と診断され、蛙バラ状態の方がしばしばいますが、本人は平気です。それを治療しなくてはならないのかどうか,まず慎重に考えて下さい.

そして,それが,空気を飲み込むことが問題なのか,それともおならとなって出て行かないことが問題なのかを考えて下さい.

「○○さん、あんなにお腹が張っていても、全然苦しそうじゃないよね」
「そう。平気。それに、あのお腹、夜寝るとぺったんこになっちゃうのよ」
「やっぱり機能的な問題なんだよね。でも、どうしてかな?寝てるとおならがどんどん出るのかな?」
「さあ、そこまでは知らないわ。でもあれだけの太鼓腹がぺったんこになっちゃうんですから、上からか下からかどちらかから出て行くしかないわよね」

病気の本態が,いわゆるidiopathic intestinal pseudoobstructionだとしても,慢性の場合は,普通,放置します.何らかの理由で治療が必要な場合には,私はワゴスチグミン(一般名neostigmine)の注射を使っていました。
Neostigmine for the treatment of acute colonic pseudo-obstruction. N Engl J Med 1999; 341: 137-41

経口ですと、メスチノン(ピリドスチグミン),ウブレチド(ジスチグミン)あたりでしょうか.重症筋無力症の患者さんに使うと,おならと下痢がひどくて十分量服用できないこともあるぐらいの薬です.


腹部の急性炎症(憩室炎)を疑った41才男性
施設入所中の重度の知能障害のある41才男性が,前屈みになって歩くことを主訴として5月7日来院した.ふだんは元気で室内を飛び回っているが,当日は朝より活気がなく,食欲もなかった.自室でじっとしていることが多いが,歩くときは静かに前屈みになって歩いた.

既往歴ではアレルギー性鼻炎,頭部白癬がある以外は特記すべきことはなかった.薬剤は服用していなかった.排便は自分で自由にトイレに行くので最終の排便がいつだったかはわからないとのことだった(付き添いの職員の話)

来院時意識清明.元来言語は理解できない.発語ももともとない.血圧126/70,脈拍88/分.体温37.8度.貧血,黄疸なく,表在リンパ節を触知しなかった.胸部触診,聴診で異常なし.腹部では心窩部がやや膨隆し鼓音を呈した.腸雑音が亢進していた.左側腹部に圧痛があった.

腹部X-Pでは大腸ガス像と便塊を認めたが小腸ガス像,free airやniveauはなかった.末梢血では白血球数14700で好中球が増加していた.CRPは14 mg/dlと高かった.

近医(外科)に紹介したが,内臓逆位でもない限り急性虫垂炎は考えにくいとのことで,憩室炎の可能性を考え,絶食とし,補液と抗生剤投与(セファメジン4g/day)を行った.翌5/8は特に変化なかったが,5/9夕方,大量の排便とともに手拳大の量のガムテープ,布製の名札,糸くず,ボタンが排泄され,すっかり元気になり,食欲も旺盛になった.

考察;主訴は”前屈みになって歩く,元気がない”という,異物を食べたことを思いやるにははなはだ困難な症例だった.本症例の特徴は,異物を食べて発熱,強い炎症反応を起こしたことだ.経過を見ても,穿孔などの重篤な腸管損傷はなかったと考えられるが,炎症反応は非常に強かった.異物といってもレントゲンフィルムに写る物の方が少ないから,診断はしばしば困難である.

結果的に腸管穿孔などの重篤な合併症には至らなかったが,患者自身のの訴えがないことが多く,初診時軽症に見えても油断がならない.どんなに気をつけていても,自由に歩き回る人の異食は完全には止められない.殺虫剤,洗剤などの危険物を生活の場の手の届く範囲に置かないようにするのが精いっぱいである.→はじめにもどる 


単三乾電池を食べた
症例は40才のsevere mental retardationの女性.緑黒色便とともに単三乾電池3つを排泄したとして,外来受診した.職員の観察では,特に何かを訴える様子はなく(患者は会話が不能),食事を含めた日常生活にも変化は見られなかったという.受診時,全身状態良好で,バイタルサイン,腹部所見とも異常なし.胸腹部レ線では異物を認めず.H2ブロッカー,マーロックスを処方し数日間経過観察したが,著変なかった.ちなみに,彼女の協力が得られないので,上部消化管内視鏡はできませんでした.

考察:普通の乾電池だろうとボタン電池だろうと,消化管の一定の場所に留まって移動しなければ局所に電流が流れ,粘膜,組織を損傷し,最悪の場合は穿孔を起こす.最もリスクの高い部位は食道だから,電池を異食したとわかったら,すぐさまレントゲン写真で位置を確認する.胃袋より下に入っていれば経過を追っていいが(それでも潰瘍のリスクは大),食道に留まっていれば緊急事態である.このケースでの緑黒色便は消化管のいずれかの部位で潰瘍,出血を起こしていたものと考えられる.

はじめにもどる 


抜毛症trichotillomania,食毛症trichophagia,毛髪胃石trichobezoars
21歳男性.以前より紙,砂,石などの異食の癖があった.97年6月レントゲン写真でたまたま胃内に針金様の陰影が見つかった.腸内に小さなナットの様な陰影も見られた.消化管穿孔の危険性を考慮し,内視鏡を行ったところ,小手拳大の毛髪球(写真1写真2)が見つかった.針金は見つからなかった.この毛髪球は内視鏡で取り出せる大きさではなかったので,摘出はあきらめた.

考察:毛髪は消化されずにしばしば胃内にとどまり,本症例のように球状のかたまり(髪胃石trichobezoars)を作って,消化性潰瘍や,幽門狭窄を起こすことがある.そうなったら外科手術で取り出すしか手段はない.この症例も経過を注意深く追っている.

注:胃石はコカコーラで溶かして治す?最初に行うべき治療法としての効果が確認される
10年間にわたって出版された24本の論文から、46人の患者の症例を調査しています。患者46人中、コカコーラを飲用したのが22人、コーラで胃洗浄したのが16人、残り8人は複数の方法を併用しました。その結果、コカコーラのみで治療した場合、50%の患者の植物性胃石が完全に溶解され、さらに内視鏡治療と併用したところ、合計で91.3%の患者に効果があったことが確認され、10%以下の4人のみが手術まで至っていたことが判明しました。

Systematic review: Coca-Cola can effectively dissolve gastric phytobezoars as a first-line treatment..Alimentary Pharmacology & Therapeutics 2013; 37:169-173.

はじめにもどる 


代謝疾患
低ナトリウム血症:SIADH?水中毒?
向精神薬や抗てんかん薬を服用している患者では,低ナトリウム血症の頻度が非常に多い.135mEq/L以下の低ナトリウム血症の頻度は,精神科入院患者の10%以上に達すると言われている(3).その原因として,一つは多飲水がある.しかし多飲水の原因が向精神薬なのか,精神症状の一つなのかは判然としない.

原因のもう一つに,薬剤によるSIADH(抗利尿ホルモン分泌異常症)がある.SIADHを起こす向精神薬や抗てんかん薬として,フェノチアジン系向精神薬,三環系抗鬱薬,セロトニン取り込み阻害薬,カルバマゼピンがよく知られている (1).また,ニコチンもSIADHをおこすし,統合失調症患者で喫煙は低ナトリウム血症のリスクファクターであることも知られている (2).

このような低ナトリウム血症では,ほとんどの場合,原因となっている薬剤を中止することはできない.また,ほとんどは慢性の統合失調症や重い精神遅滞で,病気への理解も全く期待できない.したがって水制限もできない.こういった患者さんでは,向精神薬によるSIADHか,行動異常としての慢性水中毒か,どちらだかわからない低ナトリウム血症がおこっている.どちらか一方に原因を決めるのはあまり意味がない.

原因が何であれ,現実には慢性の低ナトリウム血症状態をそのまま見ていくことが多い.こういう人は,少しの過剰な飲水でも,意識障害に陥りやすいであろう.すなわち,基礎にSIADHがあるので,簡単に水中毒が起きるということになる.やっかいなことに,多飲水は,重度精神遅滞を含めた精神障害にしばしば見られる.たとえ水道の蛇口を全部使えないようにしても,トイレの便器にたまった水を飲むほど,抑制不可能な問題行動である.このように,重度精神遅滞や精神科病棟では,基礎にSIADHがあって,その上に水中毒が起こるという,複雑怪奇で重篤な低ナトリウム血症が起きる

1.Adrogue HJ & Madias NE. Hyponatremia. N Engl J Med 2000;342: 1581-1589.
2.Spigset O, Hedenmalm K. Hyponatraemia and the syndrome of inappropriate antidiuretic hormone secretion (SIADH) induced by psychotropic drugs. Drug Saf 1995 Mar;12(3):209-25
3.Vieweg WV, David JJ, Rowe WT, Peach MJ, Veldhuis JD, Kaiser DL, Spradlin WW.Psychogenic polydipsia and water intoxication--concepts that have failed.Biol Psychiatry. 1985 Dec;20(12):1308-20.


CK (CPK)の上昇:横紋筋融解 or 悪性症候群 ?
抗精神病薬を服用している患者さんでは,しばしばクレアチンキナーゼCK(旧称CPK)が軽度から中等度(3桁で,1000を超えることは少ない)上昇している.こういう患者さんでGOT,GPTが上昇していても,肝障害と決め付けられない.CKの上昇とGOT,GPTの上昇があれば,いずれも横紋筋由来と考えるべきである.(横紋筋障害ではGOTが上昇するが,GPTは上昇しないとか,GOT/GPT比が鑑別に役立つという迷信は信じないように.あくまでCKの上昇があるかないかで,横紋筋由来か肝臓由来かを鑑別すべきである)

ともあれ,このCKの上昇は担当医にとってはあまり気持ちのいいものではない.悪性症候群の準備状態とも考えられるからだ.ちょうど,上記の慢性低ナトリウム血症が本格的な水中毒のリスクと考えられるように.とはいっても簡単に薬を中止するわけにはいかないから,気持ちがよくなくても,きちんとお薬は飲んでもらわねばならない.

慢性低ナトリウム血症も,慢性のCK上昇もどちらも抗精神病薬服用者に多い.したがって,一人の患者さんに,水中毒and/or SIADHによる著明な低ナトリウム血症と,著明なCK上昇が同時に起こることがありうるし,実際にそういう症例報告が結構ある(下記).その場合,診断の順列組み合わせが次のように複雑になる.下記の症例報告を実際に読んでみると,いずれも悩ましい.

1.水中毒+悪性症候群
2.水中毒+低ナトリウム血症による横紋筋融解
3.SIADH+悪性症候群
4.SIADH++低ナトリウム血症による横紋筋融解

井上雄一ら.水中毒と悪性症候群の関係について.精神医学 1995;37:1063-70
冨田直樹ら.水中毒が誘因と考えられた悪性症候群の一例 群馬医学 1997;68:101-05
神林 崇ら.水中毒に横紋筋融解症を合併した精神分裂病の2症例 1997;49:1147-52
岡田 章.急性水中毒直後に高CPKと経過中に低K血症を呈した慢性分裂病の1例.精神科治療学 1998;13:749-753
Tormey WP, Cronin T, Devlin JD.Hyponatraemia masquerading as malignant neuroleptic syndrome. Br J Psychiatry. 1987 Mar;150:412.
Tomson CRV. Neuroleptic malignant syndrome associated with inappropriate antidiuresis and psychogenic polydipsia. BMJ 1986;292:171


長期IVH患者の肝機能障害:特に鉄の過剰との関連について
長期間IVHを施行している25才男性に肝機能障害が出現しました.
25才男性.精神発達遅滞とてんかんにて長期入院中であったが,93年6月に総腸間膜症によるイレウスで全小腸切除を受け,以後IVH(メニュー下記)を余儀なくされていました.95年7月に定期の肝機能チェックにてトランスアミナーゼと胆道系の酵素上昇(下記)がありました.ビリルビンの上昇はありませんでした.HBsAg, HCVAbともに陰性.腹部エコーでは,胆嚢および肝内胆管の拡張,胆石,脂肪肝,膿瘍,いずれの所見もなく,正常でした.発熱など感染を示唆する所見はありませんでした.抗てんかん薬としてフェノバルビタール70 mg/day, フェニトイン 140mg/dayを服用していましたが,処方は10年来変わっていませんでした.

IVH MENU: PNツイン2号(アミノ酸製剤との合剤),オーツカMV,塩酸チアミン,エレメンミック(総合微量元素補給剤)を毎日投与.脂肪乳剤(イントラリポス)は 隔日投与.

肝機能(かっこ内は当院正常値):GOT122, GPT286, ALP 917 (66-220), γ-GTP 302 (4-63), Ch-E 0.7 (0.6-1.2), LDH 405 (100-450), T-Bil 0.3, CPK23, T-chol 70 (130-250)
なお,抗てんかん薬のため,トランスアミナーゼの上昇を伴わないALPの上昇は700前後までしばしば起こっていました.

一般にIVHに伴う肝機能障害は,胆汁うっ滞を示すと言われています.しかし,本例ではビリルビンは正常でした.本例ではIVHが2年にわたってい ましたので,特殊な原因,すなわち微量元素の欠乏,あるいは逆に過剰の可能性も考えました.

1.鉄の過剰
金属の補給として,エレメンミック(森下ルセル)1A/day使用しています.この中には塩化第二鉄が9mgあまり含まれています.成人の一日鉄必要量が最大でも3mg/dayですから,体重22kgのこの患者さんには過量となります.また患者さんは小腸を広範囲に切除していますので,鉄の排泄も悪いと考えています.現在のデータとしては(()内は当院正常範囲),血清鉄136 microgram/dl (82-136), UIBC検出限界以下,フェリチン430ng/dl (26-240)と鉄過剰を示します.しかし肝細胞は鉄を沢山含んでいますから,肝機能障害の原因ではなく,肝細胞の崩壊に伴い,内因性の鉄が放出された結果としてこういう値になるとも考えられます.

2. セレン欠乏
IVH開始後セレンの補充はしていません.血中のセレン,モリブデンの濃度は現在提出中です.セレン欠乏は起こってもおかしくないのですが,セレン欠乏の主徴である心筋,骨格筋障害の障害の兆候がありません.CPKも正常で,トランスアミナーゼの上昇は肝臓由来です.
この症例の場合,投与量が多かったことに加え,腸管を広範に切除していたため,小腸粘膜からの鉄の排泄が出来なかったことも鉄過剰の原因となったと考えられます.皮膚の色素沈着,耐糖能障害はありませんでした.
長期IVHの際,微量元素の不足についてはよく知られていますが,微量元素製剤を長期にわたって投与する場合の投与計画について,明確なガイドラインはありません.
微量元素中毒については急性中毒,あるいは経口的な慢性中毒の際の症状は比較的よく知られています.しかし,経静脈的に慢性に投与された場合の症状の詳細は不明です.体の様々な組織が微量元素を利用するのですから,経口投与と経静脈投与では慢性中毒の臨床像が異なることも考えられます.これからの地道なデータの積み重ね,症例報告が必要と思います.

はじめにも どる 


50才でパーキンソン症候群が出てきたダウン症候群
ダウン症候群患者が年をとるといろいろな神経症状が出てくる.てんかん発作,ミオクローヌス,アルツハイマー病,パーキンソン症候群といったところが有名 である.以下の写真はちょうど50才でパーキンソン症候群が出てきたダウン症候群の女性である.主訴は”体が右に傾く”(体 が右に傾くためにベッドに手をついてささえている)また,立位では普通のパーキンソン病と同じように前傾前屈姿勢をと る.寡動,固縮もあるが振戦は出ていない.ダウン症候群でパーキンソン症候群が出てくるとは話に聞いてはいたが,診るのは初めてだ.現在はL-dopaに 対する反応性を検討中である.


泌尿器科

膀胱砂?:
泌尿器科医へのメールでの質問:81才男性.アルツハイマー病で入院中,尿閉が出現したので,エコーをとったところ,膀胱内部に”砂”がた まっていると呼ばれました.エ コーの写真を参照してください.層の厚さは約 2.5 cm.

”砂”という根拠は,尿と境界が明瞭であり,体位変換により常に低きに流れるからです.”砂”の層は膀胱壁とは別です.見た範囲では結石を思わせる エコーは見えませんでした.

1.こんなにも厚く,砂の層が,結石を形成せずに堆積することがあるものでしょうか?

2.砂の化学的性質は何でしょうか?

3.この砂が尿閉の原因になっているとしたら,治療はどうしたらいいでしょうか?患者さんは高度の痴呆で,車椅子生活.日常生活は全介助です.

メールでの回答:”砂”というイメージは非常に鋭い表現です。実際には塩類と壊死細胞が膀胱の底部に沈殿したものでかなりの厚さにな ることがあります。鑑別は比較的新しい尿路出血があると同様の像になりますが、尿道からも血尿がみられるので鑑別は簡単です。

塩類は尿中成分が感染によって分解され結晶化したもので、このような方では残尿があってしかも長期臥床のため感染が慢性化しており塩類も膀胱の底部 に貯まったまま排出されず、たまってしまったものでしょう。(砂は尿閉の原因ではなく結果)

塩類はおもにリン酸カルシウムとリン酸マグネシウムアンモニウムで尿のpHは7か8ぐらいにアルカリ化していると思います。治療は感染をコントロー ルし残尿をなくすことですが、

痴呆による機能的な排尿障害はなかなか治すのが難しいでしょう。もし泌尿器科医がいれば治療可能な下部尿路通過障害がないかみてもらってください。

とりあえず、数日間フォーリーカテーテルを留置して毎日生理的食塩水で膀胱洗浄し、平行して尿培養で感受性のある抗生剤を投与してみてください。今 後排尿障害をどうするか考えねばなりませんが、尿閉に近い状態がつづくならカテーテル留置もしくは間歇導尿ということになりますが、こういった方ではほと んどの場合カテーテル留置、膀胱洗浄というのが現実的な解決法になると思います。

はじめにも どる' 


抗てんかん薬の過敏症

症例は50才女性.ダウン症候群で,てんかん発作初発のため,フェニトイン80mg/dayを服用開始したところ,服用後3週間で発熱,全身の蕁麻疹様発疹顔面浮腫が出現した. Antiepileptic Drug (AED) Hypersensitivity syndromeを疑い,直ちにフェニトインを中止したところ,全ての症状は速やかに軽快した.フェニトインに替えてバルプロ酸を投与し,発作はコント ロールされ,過敏症も出現していない.

抗てんかん薬に対する過敏症の特徴は次の通りである (2).

1.発症は服用開始後通常2-6週間.(過敏症と名が付いているが,服 用後しばらくたってから出てくることに注意)
2.頻度は3000例に一例.致死率が10%と高いことに注意.
3.主な症状として,発熱,発疹,顔面浮腫が高率に現れる.その他,リンパ節腫脹,肝機能障害,腎機能障害,心筋炎,好酸球増多などがある.
4.大切なことは,芳香族アミンの構造を持ち,cytochrome P-450を誘導する抗てんかん薬,つまり,フェノバルビタール,フェニトイン,カルバマゼピンのいずれでも起きることである.更に,70%の患者で交差過敏性が起きる (3)ので,三剤のうちのいずれかで過敏症を起こした場合に,他の二剤は使えないことになる.このことを知らないと,薬剤変更が更に重篤な過敏症 を誘発する.実際,そのような死亡例が報告されている(1)

1. Brown CE, Smith GD, Coniglione T. Anticonvulsant hypersensitivity: an unfortunate case of triple exposure to phenytoin. Journal of Family Practice 1997;45:434-7.

2. Vittorio CC, Muglia JJ. Anticonvulsant hypersensitivity syndrome. Archives of Internal Medicine 1995;155:2285-90.

3. Shear NH, Spielberg SP. Anticonvulsant hypersensitivity syndrome. In vitro assessment of risk. Journal of Clinical Investigation 1988; 82: 1826-32.


フェニトイン中毒を忘れるな
抗てんかん薬を服用している患者で,なんとなく具合が悪かったり,元気がなかったり,吐いたりしたら,フェニトインを服用していないかをチェックし,も し,フェニトインを飲んでいたら,かならず血中濃度をチェックすること.

普通,フェニトイン中毒といえば,眼振,運動失調を考えるが,重度精神遅滞や重い精神障害があると,運動失調症状が目立たず,”元気がない””何と なく具合が悪そうだ”といった形で,看護師や指導員が気づくことがしばしばある.また,教科書には,フェニトインの中毒症状として消化器症状の記載はない が,私の経験では嘔吐する患者は決して少なくない.


骨折
重症心身障害者施設と骨折は切っても切れない関係にあります.その理由は

1.運動障害,てんかん発作による転倒,行動障害としての自傷,他害,と,外傷のリスクが高い.
2.身体障害のために歩行のできない人は運動不足,日光浴不足で骨粗鬆症になりやすい.
3.てんかん薬を服用している人が多いが,代表的な抗てんかん薬であるフェニトイン、フェノバルビタール、プリミドンは骨粗鬆症のリスクを増加させる.

抗てんかん薬:骨折リスク上昇
Increased risk of fractures associated with enzyme-inducing antiepileptic medicines Australian Adverse Drug Reactions Bulletin,Vol.26,No.1

チトクロームP450 酵素誘導作用のある抗てんかん薬(phenytoin,phenobarbital,primidone 等)
を長期間服用する患者では,骨密度低下とその結果生じる骨折リスクが上昇し,このリスクは女性
で高く,薬剤服用期間に応じて上昇するとされている1)。てんかん患者には骨折リスクを高める原
因が多く存在すると考えられ,例えば発作,日光浴の少なさ,運動不足等が挙げられる。抗てんか
ん薬服用患者では,骨代謝異常が高頻度に認められる。生化学的異常としては,低カルシウム血
症,低リン酸血症,活性型ビタミンD 代謝物の血清中濃度低下,副甲状腺機能亢進症等がある。
また,骨代謝回転の加速もみられる1)。

チトクロームP450 酵素を誘導する薬物は,ビタミンD3 の代謝を促進し,その結果として,ビタミン
D 欠乏または不足,および骨密度低下を引き起こすと考えられる。最近の症例対照研究では,酵
素誘導作用のある抗てんかん薬を2 年以上服用している40 歳以上の女性では,骨密度が統計学
的に有意に低下することが指摘されている。しかし,この研究は小規模であり,各抗てんかん薬間
の作用レベルの差異を区別することはできなかった2)。

現在,「新規」抗てんかん薬が骨に影響するとの情報は得られていない。これまでのところ適切
な研究において検討されていないが,従来型抗てんかん薬との併用投与が交絡因子となり,デー
タに影響している可能性がある。

ADRAC が受けた抗てんかん薬に関連する骨密度低下についての報告は比較的少ない。この
重要な有害作用に対する認識が低く,また,本事象が遅発性であり,投与開始から数年後に発現
することも多いために,報告が少ない可能性がある。

抗てんかん薬の長期服用患者には,安全かつ適切な量の日光を浴び,体重負荷を伴う運動を
行い,飲酒や喫煙といった他の骨密度低下リスク因子を避けるよう助言する必要がある。一部の患
者では骨密度の定期モニタリングが必要であり,カルシウムとビタミンD の補充を考慮すべきと考え
られる。

文 献
1) Pack AM, Morrell MJ. Epilepsy and bone health in adults. Epilepsy & Behaviour 2004; 5(2);
S24-S29.
2) Petty, SJ et al. Effect of antiepileptic medication on bone mineral measures. Neurology 2005; 65:1358-1365.
 

診断をさらに難しくするのは,しばしば受傷機序が不明なことです.どこでどのようにけがをしたか,どこが痛いかという肝心の病歴がとれないため に,”歩き方おかしい””立とうとしない”という主訴で,大腿骨頚部骨折がやってくることになります.おまけに,まともに所見をとらせてくれませんから, とにかくレントゲン写真をとってみようという,あまり頭を使わない診断になってしまいがちです.その中でも診断に苦慮した例をいくつかあげていきます.

大腿骨頚部・転子間骨折:痛みの閾値の高い患者が多いこともあり,骨折や痛みで歩けなくな るとは限らない.”歩き方がおかしい”というだけでも大腿骨骨折のことがあるから要注意.レントゲンは左右を比較するため,両側股関節APと患側の軸写を オーダーすること.

下腿の小さな骨の骨折:これは本当に見つけにくいです.疑わしいと思ったら,とにかく整形 外科医に見せてください.写真は第二基節骨近位端の骨折. これでもまだわかりやすい方ですよ.

発作的な筋緊張の亢進による肋骨骨折

56才男性.アテトーゼ型の脳性麻痺で,発作的に不随意に筋緊張の亢進が高まることがありました.ある日,左側胸部の痛みを訴えたので,写真を撮っ たところ肋骨を骨折していました.この方は車椅子生活で,転倒を含めて肋骨を折るような受傷機序は考えられませんでしたので,体幹の筋緊張が異常に高まっ て(左側胸部が車椅子の一部にぶつかったのかもしれない)肋骨を骨折したのだと推測しました.


自傷
自傷は,精神遅滞者に非常に多い問題行動です.非常に奇妙な形の外傷となって現れて,しばしば戸惑います.部位は,ほとんどの場合,服から出ている部分, つまり,頭部,顔面が多く,ついで手,足の先です.胸部や腹部は,まず自傷部位にはなりません.自傷は,時に,重症です.例えば,目に対する自傷で失明し てしまうというような,ちょっと信じられないような事態も起きます.自傷の背景には,痛覚鈍磨や,痛覚を心地よいと感じる異常感覚があると推測されます が,証明不可能な仮説です.

顔面: 自分の手のひらでびんたをするように頬を繰り返し叩くので,このような痂皮を伴った瘢痕ができてしまった.

耳介手掌で自分の 耳を叩いて,皮下出血,腫脹,発赤が起こって,あたかも耳介軟骨に炎症が起こったようにみえる.外傷と腫脹を繰り返した結果,耳介の皺が部分的に消失して しまっている.

自傷への対処;勝つと思うな,思えば負けよ
泣く子と地頭には勝てないのと同じように,自傷と異食には勝てない.勝つと思うな思えば負けよである.初心者がよくやる間違いは強引に押さえ込もうとして 却って悪化させることだ.

たとえば,自分で手足の爪を剥がして化膿巣を作ってしまう人がいる.このような傷に対して,消毒して包帯を巻いて,手袋をして,その手袋をガムテー プでぐるぐる巻きにしても,どうにかこうにか手袋を取り,包帯を剥がし,また自傷をはじめる.消毒薬をぺろぺろ舐めるおまけつきである.本気で自傷を予防 しようとしたら,それこそ縄でぐるぐる巻きにするしかない.

薬で抑えられないかと相談されることもあるが,自傷と異食は薬では抑えられない.もし,薬で無理やり押さえ込もうとすれば,縄でぐるぐる巻きにする との同じ人権無視の暴力となる.

はじめにも どる 


医療倫理ケーススタディ
悪性腫瘍が疑われる重度知的障害者の検査と手術

大学の同級生(泌尿器科医)からの相談:
久しぶりです.今ちょ うど悩んでいるダウン症の患者さんの治療でご相談したくてメールをしました.週1回外勤に行っている病院で紹介された高度の血尿の53才の男性です.入所 している施設の職員の方に協力してもい,セルシン,アタP,ソセゴンを静注しつつ数人がかりで押さえていてもらい,ようやく膀胱鏡をやってみたところ左尿 管口からの出血を確認,CT,超音波とあわせて腎盂腫瘍を疑っていますが,まだ確定診断できていません.外来での診察の翌々日に外科の主治医から電話があ り,高度の血尿が続きフォーリーカテーテルがすぐつまってしまう.何とかならないかとのことで,何とかベッドを確保して転院してもらいました.

転院直後から病棟の看護婦にどうしてこんな重度精神遅滞の患者を 入院させたと非難を受けたこともありました.これから診断を確定し,治療方針を決定しなければなりません.今週中に尿管カテーテルで逆行性腎盂造影とでき れば血管造影を予定しています.かりに腎盂腫瘍が確定した場合,本来であれば腎尿管全摘となりますが,この患者さんはもともと腎機能が低下しており,腎摘 の結果血液透析が必要になる可能性があります.

この患者さんは普段は静かで食事も一人でできるのですが,少しの痛みで興奮し大声
をあげあばれます.今後の侵襲性のある検査時や周術期にどのように鎮静させるのが
よいでしょうか.また,慢性血液透析は可能でしょうか.お知恵を貸して下さい.

回答:

池田です.お手紙拝読しました.重度精神遅滞の患者さんで出くわす典型的な問題で,ご苦労の程が,我が事のようです.本当の難問で,名案はありませ んが,この問題に関しては,人並み以上に苦労している人間との自負で回答します.

1.患者さんの保護者や面倒を見ている人の意向が重要な要素:
ご本人が重度精神遅滞なので,本人の意思確認,インフォームド・コンセントが事実上不可能です.したがって,どのような治療方針をとるにせよ,保護者と, これからの患者さんのケアに責任を持って携わる人の意向が重要になってきます.具体的には,保護者(親御さんは亡くなっていて,他の親戚が保護者になって いる可能性大ですよね?)と,入所している施設(と推測しますが)の職員,そしてできれば,施設の入所を管轄している福祉事務機会が必要があります.

2.鎮静はとてもむずかしい:
こういう患者さんは,しばしば向精神薬やマイナートランキライザーの処方を受けていることもあり,かなり大量の鎮静剤を投与しないと,処置に十分な鎮静を 得ることができません.鎮静薬の種類や量に関しても,どんなものがいいか,客観的な判断基準が全くなくて,私もいつも行き当たりばったりです.術後はなん とかしのぐとしても,慢性透析は・・・・うーん,情けないですが自信ありません.

3.患者さんの能力がさらに落ちる可能性:
中長期的(あと2−3年と,それ以降)に見て,患者さんの生活能力が更に落ちる可能性があります.というのは,ダウン症の患者さんには,30代以降から徐 々にアルツハイマー病そっくりの神経病理学的変化が生じ,50歳を超えると,ほとんど全例で,それまで安定していた日常生活能力が急速に落ちるからです. (ダウン症候群に,アルツハイマー病が重なる).具体的には,それまで自立していた食事や着替え,排泄などの基本的な生活能力さえも失ってしまうのです. そういう兆候がないかどうか,施設の職員に確認してください.もしあれば,今後の管理にまた一つやっかいな問題が加わることになります.

4.手術をしないという選択肢:
ここまで懸命に診療してきた君の努力を腐すつもりは全くありません.しかし,手術をせずに撤退するという選択肢をたとえ選んだとしても,それが,患者さん の幸せを願う人々が熟慮した結果であれば,逃げでも敗北でもありません.

実際,私は,軟部組織由来の悪性腫瘍が肩に生じた重度精神遅滞の患者さんを最期まで看取ったことがあります.この患者さんも,身体障害はまったくな く,採血一つでも3人がかりで押さえ込まなくてはなりませんでした.まだ60そこそこのご両親が,検査も手術も一切やらないと決めたプロセスにも私は関与 しました.末期は,小児頭大以上になった腫瘤が壊死して,感染を起こしました.悪臭を伴う排膿,出血に対処するため,毎日2回の局所洗浄処置が3ヶ月続き ました.25人の集団生活の寮に住んでいて,そこに毎日往診(といっても,病院部門に併設された広い施設の中の一区画なのですが)しました.やれ臭いだ の,病院部門に移せとか,他院に転院させろとか,いろいろなところからやいのやいの言われましたが,この子の生活の場で看取ることを両親とともに決めたの で,頑として動じませんでした.最期の朝,食事もして,昼前,寮にずっと泊り込んでいた両親に抱かれながら息を引き取った時は,大変な思いをしたけれど, いい仕事ができたという充実感でいっぱいでした.

5.看護スタッフの教育:
私も,同様の重度精神遅滞の患者さんの胃癌や,精神分裂病の患者さんのイレウスなど,たくさんの外科適応の患者さんをお願いしてきました.病棟の看護ス タッフに非難を受けたとのことですが,そういう対応しかできないスタッフももちろんたくさん見てきました.

それにしても勉強不足だと思います.”障害者”というと,車椅子を使っている身体障害者しか思い浮かべられない一般大衆と同じレベルで,恥ずかしい ことです.医療の現場で,一番問題になる障害者が,体が動く重度知的障害者なのです.プロならば,この難問に立ち向かい,患者さんにとって必要なケアがど ういうものなのか,見極めて,柔軟に対応できなければいけません.少なくとも,今まで経験したことのない症例だから,勉強させてもらうという謙虚な態度が あるべきです.

はじめにも どる 


強度行動障害は虐待を誘発するか?

現在担当している重度精神遅滞の37歳の女性に,次のような問題行動がある.

1.特定の職員に向かって,”おとうちゃん来る”と執拗に呼び掛ける.その職員が”おとうちゃん来るといいね”と答えるまで,その呼びかけをやめな い.一度答えても,またすぐに繰り返し,職員は頻繁に答えなければならない.そのため,その職員が執務に集中できない.(言語による陰湿な攻撃)

2.入浴後,着替えたあとで,脱衣,嘔吐,放尿,放便,便いじりをする.だからせっかくきれいにした後,また着替えなくてはならない.それも日中で はなく,職員の数が少なく,最も忙しい夕方の時間帯に行なう.

3.サーカスよろしく窓枠によじ登って飛び降りるなど,故意に危険な行為を行なう.

4.不意に職員の目を指で突こうとする.(身体的な攻撃)

このような攻撃的,職務の妨害となる問題行動が執拗に生じれば,ストレスに反応しやすい職員から,様々な形での反撃を受け,虐待を誘発しうる可能性 さえある.平たく言うと,憎たらしい子,かわいげのない子が虐待を受けやすいだろうということだ.

かといって,その問題行動に対し,抗精神病薬を大量に投与して行動を抑制するわけにはいかないのだが,現実にあちこちで起こっている虐待や抗精神病 薬による薬漬けの原因,背景の一つに,強度行動障害から受ける職員のストレスがあるのではないかと考えている.

療育に携わる職員が,隠れた虐待などの間違った行動に走らないように教育を徹底することはもちろんだが,現実にストレスを受ける職員が,そのストレ スを癒す機会,場(例:カウンセリング)を設けることも大切だろう.

はじめにも どる 


重複障害の子を持って
高度の重複障害を持った赤ちゃんが生まれて悩んでいるお母様からメールをもらった.以下がその回答である.

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お手紙ありがとうございました.御存知と思いますが,私は,メールでの医療相談は原則受けておりません.ご自身,いろいろなことをよく心得た上で,それで もなおお手紙下さったものとお察しいたします.文面から拝読する限りでは,お子様はしっかりとした評価を受けています.

私は,重度の知的障害と重度の身体障害を併せ持った方々の診療に携わって10年になりますが,それでもお手紙だけでは,それ以上は何とも申し上げら れません.医者の立場を離れて,一般的なことしか言えません.

1.子供を育てることによって親も育てられるということ.というより,育児という仕事を通して初めて人間の成熟が得られること.

2.重複障害を持った子を,障害のない子と同じように,特別視せずに見るようになるまでは時間がかかること.親もそうなのですから,まして他人はよ けいに時間がかかります.でも,たとえ他人でも,何回も接していれば,それが当たり前だと思い,またお子さんからいろいろなことを学べるようになること. この過程もまた,”成熟”です.

3.子供自身は重複障害が当たり前だと思っていること.障害を負っているから”可哀想な,哀れな子”なのではないこと.私は,自分の受け持っている 重症心身障害者とは,”患者様”ではなく,”対等な交渉相手”として接しています

4.悩みをすぐ解決してくれとは言わから,愚痴を聞いてもらいたい.それだけでもあなたは私を助けてくれることになるのだからと,はっきり宣言して 愚痴を聞いてもらう相手をたくさん開拓すること.
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リスクマネジメント
投薬の間違い
重症心身障害者病棟や精神科病棟では,投薬の間違いのリスクが他の病棟より大きい.その一番の理由は,自分から,”この薬は違う”と言えない人が圧倒的に 多いからだ.薬を飲む肝心の本人が間違いに気づけないのだから,特に薬を渡す,いわば水際を受け持つ看護師の事故防止に向けた努力,気の使い方といったら 並大抵のものではない.それでも,間違いは起こる.間違いが起こってしまったら,大切なのは早期発見である.
とくに向精神薬や抗てんかん薬の投薬の誤りは脳に大きな障害を残す可能性がある.それを防ぐためには,何よりも早期発見が大切だ.間違いを隠されるのが一 番始末に負えない.だから,投薬の間違いの率直な申告は,誉めるぐらいの態度で臨むべきである.


突然死の問題
重症心身障害者施設での突然死
重症心身障害者は,健常人よりも突然死のリスクが高いと考えられているが,その原因について詳細に検討した報告は非常に乏しい.重症心身障害にしばしば合 併するてんかんでは,突然死のリスクは健常人よりも40倍高いといわれる.てんかんに伴う突然死の解明にはいくつもの問題が立ちはだかる.これは日本に 限ったことではない.

Pedley TA and Hauser WA. Sudden death in epilepsy: a wake-up call for management. Lancet 2002; 359: 1790.

1.診療も,診療記録も不備のことが多い.
2.てんかんの専門医の診療を受けることが少ない.
3.服薬も不規則
4.突然死の例で,解剖されることはまれで,解剖したとしても検索が不十分.

特に解剖の問題は真剣に考えていかなくてはならない.日本でも,重症心身障害者施設で,常勤の病理医がいるところは非常に限られているのは大きな問 題だ.

精神障害と突然死:特に不整脈と肺塞栓について
精神障害者では心血管系疾患による死亡率が高い (1).その原因の一つに,重篤な不整脈が上げられている(2).これは向精神薬に不整脈を起こしやすくする作用があるからだ.向精神薬の中でも,とく に,チオリダジン(商品名メレリル)が,torsades de pointesという,重い心室性不整脈を起こし,突然死にいたることで問題視されている(3).しかし,日本でのメレリルの使用は非常に少ない.

精神障害を診療する医師に,不整脈と同様に注意してもらいたいのは,深部静脈血栓症である.精神障害者,とくに入院患者では,運動不足,肥満,時に そ身体拘束,といった深部静脈血栓症のリスクを抱えている.さらに,フェノチアジン系の抗精神病薬が深部静脈血栓症のリスクとなることが知られている.深 部静脈血栓症は,肺塞栓→肺梗塞により突然死の原因となりうる.

1.Harris EC, Barraclough B.Excess mortality of mental disorder.Br J Psychiatry. 1998 Jul;173:11-53.
2.Reilly JG, Ayis SA, Ferrier IN, Jones SJ, Thomas SH. Thioridazine and sudden unexplained death in psychiatric in-patients. Br J Psychiatry. 2002 Jun;180:515-22.
3.Reilly JG, Ayis SA, Ferrier IN, Jones SJ, Thomas SH. QTc-interval abnormalities and psychotropic drug therapy in psychiatric patients. Lancet. 2000 Mar 25;355(9209):1048-52.
4.Zornberg GL, Jick H. Antipsychotic drug use and risk of first-time idiopathic venous thromboembolism: a case-control study. Lancet. 2000 Oct 7;356(9237):1219-23.

はじめにも どる 


ダウン症患者の寿命
Yang Q, Rasmussen SA, Friedman JM.Mortality associated with Down's syndrome in the USA from 1983 to 1997: a population-based study. Lancet. 2002 Mar 23;359(9311):1019-25.

ある程度予想されることだが,1983年から1997年にかけて,ダウン症患者の寿命は確実に伸びている.死亡時の平均年齢が1983年には25歳 だったのが,1997年にはなんと49歳になっている.これは医学の進歩というより,ダウン症患者のような社会的弱者でも,まともな医療を受ける機会が増 えたからだろう.その傍証に,同じダウン症でも人種によって死亡率に大きな差がある.すなわち,97年の時点で,白人では,死亡時平均年齢が50歳になっ ているのに,黒人では25歳前後,その他の人種では10歳をようやく上回る程度である.

多民族国家ではこのような状況だが,日本ではどうだろうか.興味のあるところだが信頼に足るデータはどこからも出ていない.なお,最近,私はダウン 症候群患者で中年期以降に出現する痴呆(アルツハイマー型)についての論文を書いたので,興味のある方は参考にされたい.

Ikeda M, Arai Y. Longitudinal changes in brain CT scans and development of dementia in Down's syndrome. Eur Neurol 2002;47:205-208

はじめにも どる 


福祉行政関係

重症心身障害概説

(愛知県児童相談所のホームページより一部改変)

重症心身障害とは、肢体不自由でその程度が重いため歩くことができず(下肢機能障害・体幹機能障害・脳原性機能障害1ないし2級程度)、同時に知的 障害も重度の方です。言葉による意思疎通がほぼ不可能で,歩くこともできず,日常生活動作も満足にできないため,療育・介護の負担はとても大きくなりま す。また、しばしばさまざまな病気を背負っていて,頻繁に医療を必要とします。そのため、手当てや医療費の面については、より手厚い援助が用意されていま す。

また、短期介護や施設に入所する場合にも、その介護する度合いの高さや医療的な援助の必要性から、重症心身障害児施設や専門病院を利用することにな ります。家族の方の介護しなければならないことはとても多く、食事一つから手が必要になります。市町村が行っていますホームヘルパーの利用も考えなければ なりません。さらに、短期介護を利用することで、お子さんの介護を長く続けていくという考え方が必要になります。

なお、児童相談所が原則的に18歳未満の方を扱うということの例外として、重症心身障害の方は、18歳以上になっても児童相談所がその介護の一部を 援助していきます。具体的には、重症心身障害児施設や専門病院を利用した短期介護や施設入所は、児童相談所が援助しています。また、療育手帳の判定は児童 相談所が行っています。

ただし、最近、短期介護や施設入所について、身体障害者福祉を利用される方が多くなっています。身体障害者施設の中の身体障害者療護施設と呼ばれて いる、重度の身体障害があり常時介護を必要とする方が利用している施設を使うことが多くなっています。重症心身障害児施設や専門病院の数が少ないことや遠 くにある一方で、身体障害者施設の数が増加し、身近なところに建てられていることが、大きいように思います。身体障害者福祉を利用される場合は、市町村が 窓口になります。

医師が文書を書く際に大いに参考になるのは次の書籍です。

医療文書の正しい書き方と医療補償の実際 (日野原 重明、加我 君孝 編)
ISBN978?-4-307-00456-5 AB判 272頁  定価5,040円(本体4,800円+税5%)

知的障害者の賠償責任保険
知的障害者が他人に怪我させたり,他人の物を壊して法律上の賠償責任を負った時の賠償責任と病気や怪我でをした時の保険として,生活サポート総合補償制度がある.→全国知的障害児者サポート協会のページをご覧下さい.

知的障害者の財産管理の実務
施設利用者高齢化に伴い,好むと好まざるとに関わらず,財産管理や法定後見制度の実務に我々も精通しなければなりませんが,いい実務書がなく,悩んでおり ましたところ,たまたま次の本を見つけました.

野田愛子,田山輝明 編 高齢者財産管理の実務 新日本法規出版, 名古屋,2001

痴呆患者さんの財産管理ばかりではなく,成年後見制度,知的障害者の老後の財産管理といった実務について詳細に解説されています.おすすめです.ま た,オンラインでは,

成 年後見制度における鑑定書・診断書作成の手引

が参考になります.
身体障害者の診断資格と脳原性機能障害
重症心身障害児(者)の診療に携わる医師でも,身体障害者の診断資格を持っている人は意外に少ないように思います.何か特別な診療経験や面倒な講習が必要 なのではないか,神経内科医や脳外科医,整形外科医でないと取得できないのではないかと思い込んでいませんか? でも,あなたが重症心身障害児(者)の診 療をしているのなら,それが立派な実績です.標榜科なんて,実際の診療に合わせて書けばいいのです.都道府県の担当部署(例:新潟県では福祉保健部障害福 祉課)に対して簡単な書類を提出するだけで,資格認定は受けられます.とくに,重症心身障害児(者)の場合,上肢・下肢・体幹機能障害のこまごまとした記 載をしなくて済むことがほとんどです.下記の脳原性機能障害という,重症心身障害児(者)のぴったりの診断区分があって,この診断書記載が とっても簡単だからです.

身体障害者の障害区分のうち,上肢・下肢・体幹機能障害のことは,ご存知の方も多いと思います.脳・脊髄外傷・脳卒中,様々な神経疾患などで.各身 体部位の機能障害の重症度を認定します.その際,コップを持って水を飲む,顔を洗うなどといった,細かい日常生活動作能力の障害度を認定しなければなりま せん.しかし,重度精神遅滞の患者さんで車椅子を申請する時など,重度の知能障害ゆえにこれらの日常生活動作ができないのに,しばしば身体機能はよく保た れているので,身体障害の認定の際に戸惑うことがあります.

そういう時に役立つのが,脳原性機能障害という区分です.この区分は,まさに,重度精神遅滞ゆえに移動機能が障害されている患者さんのためにぴった りの区分です.例えば,移動機能障害では,自力歩行10メートル,椅子からの立ち上がり,伝い歩きといった指標の可否さえ判断すればよく,その他の日常生 活動作の障害は一切考えなくてよいのです.重度精神遅滞,脳性麻痺の患者さんの身体障害判定は,ほとんど,この脳原性機能障害で判定できて,とても便利な ものですが,身体障害者の認定にあたる医師でも,この区分を知っている人は非常に少ないようです.詳しくは各都道府県庁の担当部署(例:新潟県では福祉保 健部障害福祉課)にお問い合わせください


痴呆患者の身体障害者申請
アルツハイマー病を含めて,痴呆の患者さんでは,病初期は体の動きに大きな障害はないことがほとんどだが,病気が進行すると体が動かなくなって最後には寝 たきりになる.体が動かなくなった時に身体障害者として認定されるかどうか,臨床現場ではいつも問題になる.下記にその見解例を記す.出典は,身体障害者 障害程度等級解説(第三版:新潟県福祉保健部障害福祉課発行)の疑義解釈12ページからである.

問:アルツハイマー病に起因した廃用性障害により,寝たきりの生活となり,全面的に介助する状態にある場合,二次的障害として障害認定してよいか

答:アルツハイマー病に限らず,老人性の痴呆症候群においては,精神機能の衰退に起因する日常生活動作の不能の状態があるが,それをもって身体障害 と認定できない.但し,関節可動域の制限や,筋力低下等,身体障害者福祉法に定める障害がある場合は,障害認定の対象となる.

とまあ,わかったようなわからないようなこんにゃく問答だが,要するに,病気が進行して,本当によぼよぼになって歩けなくなったら認定してもいい よってことなんだろう.


支援費と介護保険の違い

”利用者が,(措置という行政の押し付けではなく)身近な地域で自分に合ったサービスを選択することで、サービスを提供する事業者に競い合い が生まれ、サービスの質の向上が期待される”

このように,障害者に対する支援費制度は,介護保険とまったく同じ宣伝文句で始まった.しかし,支援費制度と介護保険の間には,その仕組みだけに 限ってもとんでもない根本的な相違があることを知る人は少ない.
 
 

介護保険 支援費
費用の出所 介護保険料 これまでと同じ(国,都道府県,市町村)??
ケアマネジャー あり なし
認定審査会 あり なし

そもそも,支援費そのものが,どこから出ているのか(国税,地方税?予算のどの部分から),さっぱりわからない.これは私の不勉強ゆえではない.そ もそもそういう肝心なことが,支援費制度の説明のどこにも書いてないんだ.少なくとも,介護保険のように,その制度のために特別に保険料を徴収されていな いことは確かだ.

ケアマネジャーや認定審査会がないことからも支援費制度が,介護保険とは大きく異なることがよくわかる.裏を返せば,これまでの措置制度と,実は大 して変わり映えしないということになる.変わったのは,ノーマライゼーションというカタカナのもとに,施設が解体され,障害者の行き場がなくなっていくこ とだけだ.また,地域の事情に見合ったサービスというと聞こえはいいが,採算の合わない地域には見向きもしないという業者が出てきても決して不思議ではな い.

支援費制度で失われるのは施設だけではない.ここではサービスそのものや,お金のやりとりとは別の観点でも問題は生じている.その一つに児童相談所 が,在宅障害者の福祉サービスに関与しなくなったことがある.地域の障害者の実態を都道府県のレベルで把握する窓口が一つ失われたということだ.

ご存知のように,支援費制度の窓口は市町村となった.市町村には都道府県へサービスの実態を報告する義務はない.つまり支援費制度下のサービスの利 用実態は市町村レベルに留まり,集計,他の市町村や都道府県と比較検討されることがない.サービスの利用実態を見直すための重要な行政データを失うことと なった.


重心者診療での医師不足:池田正行 ここでも医師不足.厚生福祉  2003年5月20日号より
巷では,小児科医不足が話題になっているが,医師不足はなにも小児科だけではない.重症心身障害者や重度知的障害者(以下,重心者と略)施設の責任者の会 合があると必ず話題になるのが,医師不足の深刻さである.以下のような重心者診療ゆえの特殊性が,医師不足に輪をかけている.

第一に,重心科なる診療科が独立していないこと.だから系統的な教育の仕組みもなければ,公に認められた指導医もいない.多くの医師は見よう見真似 さえもできない状態で,いきなり重心者診療を始めなくてはならない.

第二に,重心者診療は,一般の成人診療よりはるかに難しいこと.本人から病歴がとれない.診察への協力が得られない.採血一つでもプロレス騒ぎと いったこともしばしばだ.

第三に,診療が単なる臓器別では決して割り切れないこと.知的障害やてんかんの診療に加え,転倒による外傷では整形外科や脳神経外科,異物誤嚥,腸 管の先天異常や機能障害による腸閉塞では消化器外科,重心者の病棟で頻発する白癬や疥癬では皮膚科というように,広範な知識と技術が要求される.

第四に倫理的配慮や,福祉行政にも通暁している必要があること.

このような特殊性もあって,一通りの研修が終わってから,重心者診療を安心して任せられる医師ができあがるには,さらに5年はかかる.目前に控えている臨床研修必修化を前に,医者の囲い込み合戦が激しさを増しているだけに,“重心診療専門医”なるものを養成しようとするのは現実的ではない.今すぐにできるのは,今ある資源を最大限に活用することだ.今ある資源とは,重心者診療そのものと,現に診療に携わっている人々だ.具体的には,臨床研修必修化をうまく利用して,若い医師を重心者診療現場にどんどん招き入れて,On the Job Trainingを行うことによって,将来の重心診療を担う人材を育てていくのが現実的な方策であろう.

これまで,重心者施設は,多くの場合,市街地から離れた場所に作られたこともあって,医者の足も遠のきがちだった.しかし,重心者もまっとうな診療を受ける権利があるし,ノーマライゼーションの流れも,まっとうな診療を受けるという基本的人権が保障されてこそ意味がある.上述のように,重心者診療にはさまざまな科の医師が関わらねばならない.だから多くの医師を招き入れるのは,施設利用者のためになる.

現時点では,重心者診療のトレーニングは臨床研修の中で全く考慮されていない.しかし,研修のカリキュラムにはまだまだ流動的な部分や現場に任される部分が多い.そういった部分の活用と実績作りは,重心者診療現場の人々の双肩にかかっている.


精神障害者内科診療のやりがい
と,ここまで,大変なこと,苦労話ばかり書いてきたのですが,辛いことばかりなら,私のようなちゃらんぽらんな人間はとっくにやめています.重度精神遅滞の内科診療をはじめて10年以上,ここまで続けられているのは,そこに,他の診療では味わえない喜びがあるからです.

一つはその診療がとても難しいだけに挑戦のしがいがあるということでしょうか.操作に熟練を要する高度な検査機器を使ったり,複雑な画像を読影するといった派手な診療は全くありません.しかし,言葉では訴えられない本人を前に,彼(彼女)の面倒を見ている職員の話を聞き,本人の顔色を伺い,日常の元気な姿とどこが違うのかを考え,診察への協力がほとんど得られない状況下で,乏しい選択肢の中から診断の手がかりを得られそうな身体所見と検査を選び出す.これは,検査機器の操作やMRI画像読影といった技術より,はるかに高度な臨床決断のプロセスです.

診療方針を決めるのにも,本人の意思がわからないので,保護者と緊密に連絡をとらなくてはならない.重篤な知能障害,精神障害者だから,倫理面,社会面での問題も診療方針決定に絡んでくる.

このように制限だらけで複雑な診療で,何とか診断と治療のあたりをつけて,本人が再び安寧な生活を送れるようにしていく.純粋な医療に加えて,生活を支えていく職人芸が要求される.急な病気が治ってはいおしまい.退院してさようならではなく,もともとの障害ゆえに,ずっとお付き合いしていかなくてはならない.病棟は彼らにとって生活の場なのです.

自分はただの医者じゃなくて,生活を守るという,もっと複雑で高級な仕事をしているんだという誇りがあるからこそ,続けていられるのだと思います.


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