19世紀医学の亡霊
21世紀も二十余年を過ぎた今もなお、19世紀医学の亡霊が跳梁跋扈する極東の辺境国で、医療を行った気になっている医師達、国を医した気になっている役人達、役人達のパシリになるしか能が無い政治家達、そんな彼らの間で右往左往を繰り返す市民。こんなドタバタがいつまで続くのか?そんな切実な問いに対する答えがここにある。以下は 『日本医事新報 質疑応答:プロからプロへ No.5132 P48-49
2022.9.3』 (紙媒体)より抜粋(太字、下線は池田が勝手にやった)。
科学的根拠とは異なる報告書の原因と解決方法について 【19世紀の医学と20世紀の医学との違いをふまえて世界の医学経験を獲得しよう】
Q.どうして科学的根拠とは異なる報告書を出す疫学者が産業保健領域でも出るのでしょうか。ギャップに戸惑ってしまいます(例:コロナで言うならワクチンやマスクの効果など)。そして、その解決方法があればご教示下さい。岡山大学。津田敏秀先生にご解説をお願いします。
【質問者】 櫻澤博文 合同会社パラゴン代表 医師・労働衛生コンサルタント
A.原因は明らかです。一言で言うと19世紀の医学と20世紀後半の医学との違いです。19世紀の生理学の大家ベルナールによる「実験医学序説」(1865年)に端を発するメカニズム決定論の影響を、明治期に医学を輸入したわが国は色濃く受けてきました。それ以前の職人芸としての医学では、親方から弟子へ伝わる知識や技術でしたが、論文を通じて実験の成果としての知識が伝わることは大きな進歩となり、19世紀末には細菌学が大きな成果を挙げました。しかし、これは実験医学の話で、人の話とは異なります。それでもべルナールは「真の科学的医学をつくるのはこの実験室である」と医学研究者を病棟や職場から実験室へと駆り立てました。
20世紀となり、自然科学が決定論から確率論へと発達するにつれて、医学もしだいに人の観察から定量的に情報を交換する方向へと発達しました。わが国が戦災から立ち直ろうとしている間に、欧米では薬効治験や観察研究など人を直接観察する方法論を発達させ、人のデータに基づいて発がん物質の同定と分類を始めまし
た。
それらの成果と疫学理論の発達により、米国医師会雑誌は1992年に「医療行為のための新しいパラダイムが現れてきている。根拠に基づく医学とは、直感、非体系的な臨床経験、病態生理学的根拠を臨床判断の十分な根拠として重視せず、臨床研究からの科学的根拠を検証することを重視する」と宣言し、医学的根拠を人の系統的な観察研究に置き、これを研修医全員に課しはじめました。これが科学的根拠に基づく医学(evidence-based medicine:EBM)の始まりです。
EBM研究の方法論は疫学で、そこから得られる情報は、OR(オッズ比)、RR(リスク比)、RRR(相対リスク減少)、NNT(治療必要例数)などと95%信頼区間を通じて交換されはじめました。
宣言中の「直感、非体系的な臨床経験」が職人芸としての医学、次の「病態生理学的根拠」がメカニズム決定論で、世紀を超えて次の段階に進んだ達成感が伝わります。
わが国は世界でも稀な自国の言葉での医学教科書があり学べる国です。そのため、このEBM出現への150年を超える論争を知りません。1990年当時のわが国では、EBMは根付かず反発さえ受けました。その代わりに、「メカニズム決定論に基づき研究し職人芸の医学で診療をカバーする」という日本流の独特の医学教育研究と診療が成立しました。その結果、実験医学は世界有数の成果を挙げる一方で、臨床医学や公衆衛生は先進諸国に大きな後れを取る事態になり、いびつな独特の医学研究となっています。
さて解決方法ですね。欧米で繰り広げられたこの世紀をまたぐ壮大なプロセスを一気に追いつく簡単な方法はありません。下手をすると反発と拒絶をまねいた1990年代の再現になりかねません。気長にいきましょう。そのうち世代が入れ替わって浸透するでしょう。
私なりの方法は、「世界の医師の臨床経験・産業医経験を獲得するためには、文献検索の方法を学び、10ほどのEBM言語と概念、および義務教育程度の英語があれば、医学での科学的根拠が獲得できますよ」と、魅力的な動機づけと敷居の低い目標を具体的に挙げて説明しています。これなどはEBMのみならず、どの世界にも通じるスキルアップの方法論ではないでしょうか。
【参考】
Evidence-Based Medicine Working Group: JAMA.1992; 268(17): 2420-5.
津田敏秀:医学的根拠とは何か。岩波書店、2013.
【回答者』
津田敏秀 岡山大学大学院環境生命科学研究科 人間生態学講座教授
→新コロバブルの物語
→二条河原へ
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