発達障害当事者研究 「経験知」を伝える技術 医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か めざせ!外来診療の達人―外来カンファレンスで学ぶ診断推論 チーム・バチスタの栄光,褥創治療の常識・非常識,日常診療のよろずお助けQ&A100,図表でみる世界の医療
OECDインディケータ(2003年版),医療者のための医療紛争対処ハンドブック クリニカルエビデンスIssue9日本語版,画像診断を考える,生坂先生の本,日本の医療と法,続
EBM実践ワークブック, 研修医当直御法度症例帖,知っ
てるつもりの内科レジデントの常識,内科レジデントアトラス,レ
ジデントのための感染症診療マニュアル,エビデンス精神医療,メディカルインタビューマニュアル,内科オールラウンドプラクティス,研修医当直御法度,世界病気博物誌
日曜の昼下がり、自室で独り静かに本を読んでいる時でさえ、インクのにおい,紙の手触り,電灯の光、窓からの光,先ほど飲んだコーヒーは,今、幽門部から60センチの空腸部分を流れている,靴下の感触が気になるから脱いでしまおうか・・・ジャンボジェット機の操縦よりも、はるかに膨大な量の感覚情報が、あなたに押し寄せてきている。なのに、なぜあなたは心静かにいられるのだろうか?
発達障害とは,常に何らかの感覚入力で部分的にせよ手動操縦を要求されているジャンボジェット機の操縦士のようである.パニック発作とは,完全手動操縦への突然の切り替え要求である.
普段,我々は自分の身体というジャンボジェット機の自動操縦をしている.しかし,何か不都合なことがあると,手動操縦に切り替わる.ブドウ球菌食中毒では,エンテロトキシンによって,腸管が急激にその存在を主張しはじめる.くも膜下出血では,髄膜と脳の存在が始めて意識される.いや、そんな重い病気にたとえなくても、発達障害者は、四六時中、二日酔いの苦しみを強いられていると表現すれば、いわゆる健常者の人々からも、幾ばくかの共感は得られるだろうか。
どんなに発達障害をよく知る人ほど、「発達障害って、一体何」という素朴な問いかけに対して、言葉に詰まってしまう。そんな時、答えの代わりに本書を勧めてもらいたい。そうだったのか。そんなふうに辛かったのか。発達障害当事者への同情ではなく、理解と共感を呼び起こしてくれるはずである。
それゆえ、本書には、暗黙知の獲得や移転のプロセスが言語化されているわけではない。多分、こういうのを暗黙知と呼ぶのではないだろうかという事例がだらだら書き連ねてあるだけだ。だから面白くない。眠くなる。
この本から学ぶことが一つだけあるとしたら、暗黙知の面白さを知るためには、この本のようなアプローチはだめだということだ。ではどんなアプローチがいいのだろうか?多分、暗黙知そのものに攻撃を仕掛けようとしても、この本のように失敗に終わる。となれば、暗黙知以外の部分、すなわち、言語化の方向から、「言語化とは何か」という問いかけをして、その対偶命題として、暗黙知を浮き立たせる手法がいいのではないだろうか。
こんなところを読んでいる人なら,この本の評判は聞いているが,不幸にしてまだ読む暇がないか,あるいはもう読んだかのどちらかだろう.
もしあなたが,前者の不幸な集団に所属するのだったら,悪いことは言わない,今すぐ,あなたのすぐ右隣にいる人に借りるがいい.もし万が一,あなたの右隣 にいる人もまだ読んだことがないとしたら,左隣というように,次々に聞いていくがいい.その結果如何で,あなたの仕事場にいる人々の見識が窺い知れるとい うものだ.
そんな暇はないし,自分の仕事仲間の見識ぐらい,とっくにお見通しなのだったら,四の五の言わずにこの本を注文するがいい.この格調高い文体で綴られた,現在の日本の医療における”95か条の論題”を,まだ読んでいない不幸から,早く脱出するために.
注文してから届くまで,わずか2日間だったのに,私も多くの読者と同様に,本書の到着を待ちわびていた.職場に届いたら,家に帰るまでに待ちきれずに,通勤電車の中で開き,中学時代に将棋の解説書に夢中になっていた時と同様に,電車を乗り過ごしてしまった.
外来診療は患者さんとの対局である.一局ごとに命がかかる真剣勝負である.どう考えてその手を指したのか,多くの人にわかるような,プロの対局の大盤解説は何よりも勉強になる.
しかし,従来の医学教育では,外来診療の大盤解説は全くと言っていいほど行なわれてこなかった.いわゆるポリクリでも,大学の偉い先生と患 者さんのやりとりを一方的に聞かされて,診察項目の絞込みの理由も全く不明のまま,なし崩し的に診察が行なわれた挙句,診断の当てっこが行なわれるのはま だいい方で,検査項目の議論に終わる場合もまれではなかった.かくして,外来診療の教育は,”職人芸”という,教育の貧しさをごまかす言葉に置き換えられ て,放置されてきた.
本書が世に出たおかげで,今や大盤解説教育の何たるかが明らかとなった.願わくは,臓器別診療の分野に属する人々も,職業人としての誇りをかけて,自らの領域でも,大盤解説書を出版せられんことを.
嫉妬を通り越して脱帽した.才能も,勉強量も,全く敵わない.二条河原を本にまとめたいと思っていたが,その気力もなくなった.自分がこの10年間,こつ こつ書きためた内容も,その文体も,この本を前にすると,ひどく色褪せて見えてしまう.心臓血管外科手術の描写で細かな誤りが指摘されているようだが,私にとってそんなことはどうでもいい.
今も毎日繰り返されている現場の歪み・悲劇を偏りのない立場で描きながら,これほどまでに痛快な喜劇に仕上げる才能の素晴らしさよ.単に取 材力や勉強量だけではとてもじゃないがここまでできない.診療現場はもとより,霞ヶ関にいる人間の生態まで,克明に描いている点にも驚嘆する.
しかし,私が何よりも驚いたのは,その文体である.その個性の主張の強さは,野坂昭如に匹敵する.一体,この医者は,いつ,どこで,こんなとんでもないたくらみを考えついたのだろうか.
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泥棒をしたことがない奴は手を挙げてみろと言ったのはトルストイだったと記憶しているが,その言葉の意味に比べれば,誰が言ったかは大した問題ではない。
その顰みに倣えば、褥創の治療で困ったことがない医者は手を挙げてみろと言うことになろうか.
仮にもあなたが医者を自認するなら,褥創の治療で困ったことが一度ならずあるはずだ.その時は,あなたはどうしてきただろうか.かつて先達から習った秘伝
の消毒法を駆使してきただろうか,それとも郷に入れば郷に従えとばかりに,行った先々で古株看護師の言いなりに処置してきただろうか.どんな方法を使った
にせよ,それで褥創がよくなっただろうか.そう問われて後ろめたさを感じざるを得ない諸氏に,ようやく自信を持ってお薦めできる本が出た.
でも,なぜ、神経内科医が褥創治療の本の書評をするのかと訝しく思う人ほど、この本を読むべきである。なぜなら、神経内科医が書評を書くほど、ラッ プ療法(開放性ウェットドレッシング療法)は普遍的、標準的な治療法になってしまったからだ。そんな標準治療を知らない人は,こっそり,急いで本書を注文 するがよかろう。標準治療だとすでに知っている人も,ここまで懇切丁寧に解説してもらえれば,ますますラップ療法への信頼度が増すに違いないから,やはり お薦めである.
褥創,この人類最古,かつ最も普遍的な病気に対し、20世紀末に至るまで、標準治療がなかったわけではない。本書の冒頭には,むかしむかし、因幡の しろうさぎの時代から、開放性ウェットドレッシング療法は存在していたとある。それも立派な対照試験とともに。ただ、人間の頑迷さが,解決の鍵を見えなく してしまっていた。
ラップ療法叩きを生きがいにする人々がまだ多い中で,なぜ,私がこの治療法に絶大な信頼を寄せるのか.それは専門家集団の圧倒的な支持を得ているか らだ。専門家集団とは誰か。それは、もちろん医者ではなく,処置に直接関わる看護師達である。ラップ療法がこれまで歩んだ道も決して平坦なものではなかっ た.本書の著者も,自分の職場でラップ療法を開始した当初は、著者が不在の週末には,処置内容が白糖・ポビドンヨードに逆戻りとなったこともあったとい う。現場を預かるそんな頑固な専門家達の厳しい吟味の目を経てここまで普及してきた治療法だからこそ,安心してお薦めできるという次第である.
百人褥創患者がいれば、百通りの褥創があるわけだが、写真集と見紛うばかりの本書の豊富な事例検討は誠に頼もしい限りである。ラップ療法の素晴らし さを知りつつも,難易度の高い褥創問題が解けなかったばかりに,看護師たちの全面的な支持をなかなか取り付けられなかった方々にも,本書は力強い味方に なってくれるに違いない.褥創治療を通して得た臨床現場の知恵が結集された結果,誤嚥性肺炎、口腔ケア、栄養補給といった,周辺領域の痒いところにまでも 手が行き届いた解説もついている.
本書が世に出たからには,もう,ラップ療法支持者が孤立することはなくなるだろう.毀誉褒貶相半ばするとして,ラップ療法に対してややシニカルな態 度をとっていた人々も,密かに本書を精読した後,ちゃっかりと褥創治療の専門家を自称するようになるだろう.さらに,ラップ療法反対論者こそ,旧帝国陸軍 の愚を繰り返したくなければ,孫子の兵法に従い,その全貌を余すことなく描いている本書を読むべきであろう.
ここまで認知されてきたラップ療法といえども,まだ未完成の部分,すなわち発展の余地がある.その進化の方向性も,本書から伺い知ることができる.
たとえば,臨床試験データの吟味を生業とする私は,ラップ療法にふさわしい臨床試験がどうあるべきかを,本書から読み取った.その意味で,本書は単なる指
南書ではない.読者を啓発し,読者と著者の共同作業が,この革新的な治療法をこれからどう進化させていくか,そんな楽しみを与えてくれる書である.
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では,どこがいいのか?第一に,この本には科学がある.この本には,患者満足度に関する従来の論説の致命的な欠陥,すなわち,小学校の道徳教科書色 は皆無である.マーケティングの手法を使って,患者満足度を指標に医療サービスを改善することの意義をわかりやすく説明している.かといって,金儲けをし ろと強制しているわけではない.むしろ,反対に,真っ当な医療者が正しいと直感していることが,患者満足度を上げることに一致していることを,マーケティ ングの手法から見事に説明してくれている.
そんなうまい話があるのかと,まだ疑り深い人でも,著者の次の言葉を知れば,きっとこの本を買う気になるだろう.
”(医療者と患者の間の)信頼関係は,両者の対話の産物である.「患者サマ」という呼び方には,協奏とか対話を否定するひびきが感じられ,筆者は違
和感を覚える”(本書 P152 患者の新しい役割 より)
この本で著者が発したかったメッセージは,悲観的なものではない.命のやりとりの日常では,原因は何であれ,大小さまざまな悲劇的結果が必ず生まれ る.訴訟に発展するような大悲劇とはいかなくても,小さな悲劇を含めて,すべて無理やり忘却の彼方に追いやろうとするから,新たな悲劇が生まれる.しか し,悲劇を,情報開示と説明責任,リスクコミュニケーションのきっかけにすれば,そこで生まれるのは新たな悲劇ではない.
では,何が生まれるか? 新たな事故防止システムか?ほとんどの場合にはそんなに大層なものではない.もっとささやかだが,しかし個人にとっては大
切なもの.それは,転んだところの土を掴むしたたかさを自分が持っていた,そういう誇りだろう.そのささやかな誇りを積み重ねて,ようやくシステムをどう
しようかという話になる.それは,ちょうど,重箱の隅を突付くような小さな研究成果の積み重ねが,画期的な治療の開発に繋がるような話である.
この著者のエッセイ,”このところ感じる風―医療と法律の現場で描く、近頃のスケッチ―”(ジャミックジャーナル7月号に掲載)はなかなかいい味が出てい
ます。ネットの上では読めませんが、雑誌が読める人はどうぞ。
著者のホームページ→医療と法律の談話室
クリニカルエビデンスIssue9日本語版
待ち遠しかったクリニカルエ
ビデンスIssue9日本語版が2004年4月5日にいよいよ出る。名郷先生曰く,EBM解体新書とも言うべき本書の編集委員会に名を連ねる名誉
を私に与えてくれた名郷先生はじめ関係者の方に感謝したい。”今日の治療指針”の執筆を断った私だが,本書の翻訳に携わったことを,素直に誇りたい.自分
がこれまでやってきたことが,国内でも認められたという意味で,BMJに筆頭著者で論文が載った時とはまた別の感慨がある.この本にはそれだけの価値があ
る.
内容は言うまでもないが,訳文もよくこなれている。決して手前味噌ではない.何の事はない,翻訳のプロによる下訳がしっかりしているのだ.私のとこ ろに原稿が来た段階で,訳文そのものはOKで,あとは臨床医から見て技術的におかしなところに集中してチェックすればよかった.医学書の翻訳とは本来こう あるべきだというお手本だろう.
お勧め以前に、臨床医としてデフォルトで備えておくべき書物である。あなたがもしこれを買って損をしたと思うのなら、それはあなたが臨床医ではない
ということになる。
画像診断医ではなくとも,画像診断はする.あらゆる科の医者が画像診断をする.例えば,神経内科医も脳神経外科医も頭部CTを読む.そこで敢えて画
像診断医というからには,頭部CTの読影についても,神経内科医や脳神経外科医よりも上に行かなくてはならない.これは大変なことだ.何しろ相手は患者を
診ている(まあ,受け持っても診ていない連中もたくさんいるが).そいつらの上を行かなくてはならないのだから,画像診断には画像以外の勉強が必須であ
る.だから,真っ当な画像診断医というのは,家庭医と同じで,”専門”という言葉を拒否しながら常に広く臨床を勉強し続けなくてはならない.そういう姿勢
の画像診断医が書いた本だから,画像診断医でなくとも,読む価値があるというわけだ.
生坂 政臣 見 逃し症例から学ぶ日常診療のピットフォール 医学書院 定価(本体3700円+税)
何を隠そう,私は,生坂先生ご本人から,この本をいただいた.一気に通読させていただいたが,見逃しというのは,実は看板に偽りあり.よくもまあ,
見つけたものだというのが,私の正直な感想である.かといって,ひどく難しい検査をやっているわけではもちろんない.ほとんど,基本的な病歴聴取と診察
で,見逃しを指摘できている.だからMasterなんだよなあ.
まっとうな研修医は黙っていてもこれをむさぼり読むだろうから,お勧めしたいのはむしろ研修医以外の人々に対してだ.前作と同様,医者ばかりでな
く,看護師,救急救命士の方々にも是非ともお勧めする.また,現場にまだ出ていない学生諸君も,どの分野で仕事するにせよ,卒業前からこういう本を読んで
おいて,”耳年増”になっておくのもいいものだ.
常識と非常識ほど怖いものはない.それを心得ている人は”当たり前だ”と思っているから,人に教えようとしない.教科書に書くこともしない.試験問
題に出すこともしない.こうなると,駆け出しや門外漢にとっては,知らずにヘマをやって重大な結果を招くまで,常識と非常識を学ぶ機会がないことになる.
これでは教育とはいえない.臨床水準の底上げにもつながらない.一方,指導医の立場からは,他のことは忘れてもいいから,これだけは覚えて置いてくれとい
うTIPSがある.本書は,そういった溝や穴を丹念に埋めてくれる数少ない本の一つである.
今からもう10年以上も前,初 めて恙虫病の刺し口を見つけた時の感動は今でも忘れない.あらかじめアトラスで勉強しておかなければ,ただの”かさぶた”と見逃し,最悪の場合, 一つの命を失ったかも知れない.
百聞は一見に如かずとは,本書のようなアトラスにぴったり当てはまる金言である.身体所見や画像は,現物を見るのが一番効果的な勉強方法だが,誰で も現物を経験できるわけではない.特に,オスラー結節のような,誰でも名前を知っているが,誰も本物を見たことがない所見は,このようなアトラスで学ぶし かない.希にしか出会わないけれども,出会ったときは絶対に見逃してはならない所見がある.その所見が念頭にあるかどうかが,一人の人間の人生,生命を決 定付ける判断に直結するとなれば,本書のようなアトラスで,普段から臨床の目を研ぎ澄ませておくことが如何に大切かがわかるだろう.読み手にそういった問 題意識があれば,アトラスは現物に負けない体験を提供してくれる.現に私は,上記の恙虫病も,Kayser-Fleishcer角膜輪も,アトラスで見た 経験だけで診断できた.
このように,臨床アトラスは,日常診療場面で,あっ,これ,前に見たことある!!という直観に通ずる疑似体験を提供してくれるべきものである.とこ ろが,これまで臨床アトラスというと,本棚からどっこいしょと取り出すような大部の体裁のものが多かった.これでは本棚の肥やしにはなっても臨床の肥やし にはならない.その点,白衣のポケットに入る大きさで,当直室のしばしの休憩の際に寝転がって手に取り,気楽にぱらぱらめくる体裁の本書は,臨床アトラス 本来の機能にふさわしい.単に写真の解説ばかりではなく,診断のポイント,鑑別診断まで要を得て記載されている点も,本書の価値を一層高めている.書名 は,”レジデント”を冠しているが,医学生が国家試験とその直後の臨床のために役立てるためにもよし,またレジデントをとっくに過ぎ去り,知識の再生と更 新を怠りがちな,私のような年代の医師にとっても,本書は極めて有益である.そんな本書の価値を,より多くの人に知ってもらうために一つだけ注文があると すれば,もう少し個人で買い求め安い値段にしてもらいたいということだろう.
聖路加国際病院という,日本でも屈指の臨床現場でも,これだけきれいな臨床写真を揃えるのは大変な苦労があったと推測する.著者の臨床への情熱と尋
常ならざる努力,そしてそれが結実した本書に敬意を表したい.
感染症診療のカリスマ,青木 眞先生の著書である.先生の全国行脚が日本の臨床水準上昇のための福音伝道ならば,この本は正にバイブルであろう.
EBMって何だろうと素朴な疑問を持つ私のような内科医と,全ての精神科医に,お薦めの本です.
1.我々は,自分の日々の診療における様々な疑問に対する回答を得るために,他人の仕事を(いい意味で)批判的に吟味している.しかし,今まで,私 はその作業を自己流,直観的に行ってきた.この本は,その作業の筋道を明快に示してくれる.おそらくこの筋道がEBMの本体なのだろう.
2.精神科はもちろん,他科の医師にもEBMとは何かを示してくれる.少なくとも我が国では,精神科はEBMの考え方が最も遅れている分野であり, その分野でのEBM実践指南書だから,基本的なことをわかりやすく書いてあるからだ.
3.著者は精神科医であるが,非常に広い視野を持っている.その証拠に,RCTを巡る議論の際,引用されている例を見ても,”心筋梗塞に対する運動 療法”,前立腺癌に対するジエチルスチルベステロール,外頚動脈ー内頚動脈吻合術,と,様々だ.
4.EBMって何だろうと素朴な疑問を持つ私のような人は,本書の後半の実践編から読み始め,それから基礎編→理論編に進めば,より抵抗なく読み進
める.臨床医にとって必要な臨床疫学の重要事項もこの本はカバーしている.
問診とは何か.それは芸術の水準まで洗練された医師の技術である.我々は外来で初診の問診する時,患者にまつわるありとあらゆるものから診療に関す
る有用な情報を得ようと全身全霊を傾ける.その物語である.診断を当てるとかいうクイズ的な要素は全くないにも関わらず,外来問診十五番勝負って感じで,
読んでいて思わず気合いが入る本だ.あなたが医師免許を持っているなら,この本を必ず面白いと思うはずだ.この本が面白くなかったら,医者はやめた方がい
い.