「だって、誰でも同じようなことやってるじゃない」という言葉が、ほとんど万能のような意味を持つ。ゴールが「人並」である以上、自分のやっていることは、「誰でもやってること」なんだから、そこに「反省」などというものが入る必要はない。だから、モラルというものは低下する。「赤信号、みんなで渡ればこわくない」である。(橋本治 失楽園の向こう側」4 みんな「いい人」の社会 P99)
「こわくない」という時、その怖さはどこから来ると想定しているのか?それは、「悪いことをするとお巡りさんが来て刑務所に入れられちゃうよ」と親が子どもを脅かす時の怖さである。赤信号で道路を渡ること自体の怖さではない。そこには車に轢かれて命を失うよりも、お上の叱責の方を恐れる倒錯した心がある。
医学を学んでいない裁判官が医学常識を弁えずに誤った判断を下すのは当然である。検察側証人医師と弁護側証人医師の主張が真っ向から対立する時に(そもそも真っ向から対立するのが裁判です)、あるいは原告側証人医師と、被告側証人医師のの主張が真っ向から対立する時に(そもそも真っ向から対立するのが裁判です)、どちらが正しいかの判断を,、医学知識も診療経験もない裁判官に求める極めて不条理な仕組みが、なぜ江戸時代以降も放置されてきたのか?
それは、この倒錯した心によってである。真実や科学の警告に反し、赤信号を渡っても、「だってみんなそうしているのだから」「だってこれまでそうしてきたのだから」と自分を納得させ、「科学より、真実より、お上に文句をつけない方が、変人扱いされない方がずっと大切だ」との信仰が、医師ばかりではない、全国民によって支持されてきたからだ。